二俣線の当区間開通時,すでに奥山線は営業していたが,後から建設された国鉄二俣線が勾配を嫌ってか地平を通ることとなり,もともと地平を走っていた奥山線が二俣線とクロスする当該部分が高架化された.このことから,高架の建造は二俣線のこの区間が建設された1938年頃と思われる.以上のような経緯を辿っていることから,この高架は遠州鉄道が建設したのではなく,恐らく国鉄が建設したものと思われる.そのためか,建設から70年以上経った現在になって見ても,重厚な造りであることが伝わってくる.(2013年12月19日記述)
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