(2011年1月9日作成,2016年7月14日最終更新)
天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線へ戻る
金指(かなさし)駅構内北西方に残る給水搭.(2011年1月9日記述)
出札窓口の券箱には硬券が収容されていた.(2011年1月9日記述)
駅舎の南東方に残る信号テコの跡地.(2011年1月9日記述)
別アングルからの信号テコ跡地.(2011年1月9日記述)
ホームは島式1面.国鉄時代からの木造上屋が残る.(2011年1月9日記述)
国鉄時代からのホーロー標柱.(2011年1月9日記述)
駅舎は平屋建て部分が国鉄時代からのオリジナルのもののようである.2013年現在,有人駅となっている.(2013年12月20日記述)
駅舎に併設されて建てられている2階建ての建物のの壁面には「あすなろプラザ金指校」の文字跡がみられるが,どのような団体?が使っていたのか等は不明.2013年現在は空き家状態のようである.(2013年12月20日記述)
出札窓口.掲示物がやたらと多い.自動券売機は無人時に扉を閉め,その扉を施錠できるようになっている.このような構造の券売機は三ヶ日駅でも見かけている.(2013年12月20日記述)
運賃表には自社線内のほか,遠鉄各駅,JR連絡も掛川経由,新所原経由で各駅まですべてが掲載されており,見ていて飽きない.(2013年12月20日記述)
三ヶ日や気賀に比べてやや狭いが,木造部材が多く残る待合室も健在.(2013年12月20日記述)
駅舎の新所原寄りに鉄筋コンクリート造りの給水塔が残っている.当ページの冒頭写真と同じもので,ホームから見ると丸みを帯びた天頂部の造りなどがみられるが,至近距離から見てしまうと天頂部は水平になっているように見えてしまう.(2013年12月20日記述)
貯水槽を支える脚は4脚.貯水容量は18t.(参考文献:著者不明,2010.「国登録有形文化財を巡る 天竜浜名湖鉄道の旅 訪ねてみたい昭和の鉄道遺産」天竜浜名湖鉄道株式会社営業部.(発行年は本書に奥付等がなく不明のため,豊橋市図書館のデータベースに依った)(2013年12月20日記述)
貯水槽直下に残る鉄管とバルブ.写真奥に金指〜気賀高校前間に残る遠州鉄道奥山線との立体交差跡のコンクリート高架橋も写っている.(2013年12月20日記述)
2013年12月の訪問では自動券売機は壁に埋め込まれているタイプのものだったが,今回はいわゆる食券式券売機が元々券売機があった壁面を埋めるるように新たに設置されていた.写真が不鮮明だが,青ボタンは自社線内,下2段の赤ボタンは西鹿島乗り換えの遠州鉄道連絡乗車券ボタンだった.(2014年6月10日記述)
出札窓口上部の運賃表だが,遠州鉄道連絡,JR連絡の運賃部分が白く覆われ,「東海道線,飯田線及び遠州鉄道西鹿島線の運賃については,駅窓口にてお問い合わせください.」という貼り紙があった.2014年4月の消費増税のタイミングで窓口に設備されている連絡乗車常備券類の整理がされたようで,以前発売していた連絡口座がなくなっている可能性が高い.(2014年6月10日記述)
かつて金指駅から北へ直線距離で約1.8kmの位置にあった住友セメント浜松工場への専用線があったが,1984年に廃止なった.専用線は途中の丘陵地をトンネルで抜け,井伊谷川を橋りょうで越えていたが,それら構造物や一部線路敷が30年ほど経った現在でもかなり残っていた.写真は県立引佐高校西側付近で,専用線軌道敷上より住友セメント方を見た写真(北方向を撮影).ボックスカルバートは専用線廃止後の道路建設で新たに設置されたもので,その断面は鉄道の車両限界よりはるかに小さい.(2015年10月23日記述)
前掲のボックスカルバートを抜け,北側を撮影したもの.目の前の丘陵をトンネルでぶち抜いていた.(2015年10月23日記述)
線路敷西側の畑に「用地」と刻まれた杭があった.恐らく私有地と専用線用地との境界杭と思われる.(2015年10月23日記述)
専用線跡を北へ進むと藪が濃くなり,「マムシきけん はいるな」の看板があった.かまわず北進.(2015年10月23日記述)
藪を抜けると,目の前にトンネルの坑口が姿を現した.(2015年10月23日記述)
専用線唯一のトンネルの金指駅側坑口.1980年代までここをセメント貨物が行き来していたのだ.(2015年10月23日記述)
トンネル内部.地元の管理が良いのか,産廃などもなく,きれいである.トンネル延長は地図上で計測すると250m程度のようである.(2015年10月23日記述)
トンネル坑口付近より南側(金指駅側)を振り返る.切通し部に水が溜まっていたが,当日は長靴で探索したため通過に問題はなかった.(2015年10月23日記述)
坑口側面の上部のみ間知ブロック積の土留になっているが,恐らく廃止間際の時期に嵩上げの追加で工事されたものと思われる.1984年廃止だとすれば,国鉄が貨物輸送の大削減を行った2月改正時と思われるが,住友セメントとしてはもっと長く貨物輸送を行いたかったのではなかろうか.(2015年10月23日記述)
トンネルへの切通し部の側面上部に,格子型法枠に玉石を詰めた鉄建公団建設線によく見られる工法による追加土留も見られた.(2015年10月23日記述)
北側の坑口(住友セメント側坑口)にも行ってみた.こちらは切通し部がほとんどなく,山腹にいきなり坑口があった.こちらも産廃などはなく,きれいな状態で残っていた.(2015年10月23日記述)
北側の坑口付近より住友セメント側を見た構図.この先で井伊谷川を渡ることになる.(2015年10月23日記述)
やや分かりにくいが,専用線軌道敷跡がほぼ砂利道になって残っていた.写真奥が住友セメント方.(2015年10月23日記述)
専用線路盤跡が比較的よく残っている区間.奥に撤去せずに残されている井伊谷川の赤色の橋りょうが写っている.(2016年7月14日記述)
井伊谷川の橋りょうは撤去費用が嵩むこともあってかほぼそのまま残っていた.写真奥が住友セメント方.(2015年10月23日記述)
レールや枕木は撤去されている.厳重ではないが柵があり,橋りょう内へは立ち入りできない.(2015年10月23日記述)
専用線の終点・住友セメント浜松工場は撤退しており,2014年現在は自動車メーカー・スズキの子会社,スズキ精密工業になっていて専用線の線形などはよく分からない.写真はスズキ精密工業の社屋と従業員駐車場だが,スズキ車しか停まっていない(スズキ車しか停めてはいけないものと思われる).(2015年10月23日記述)
従業員駐車場は見渡す限りスズキ車で,「世の中,こんなにスズキの車って走ってたっけ?」というほど大集結していた.軽はとにかく,普通車のスズキはあまり見かけない気がするだけに,こんなにスズキの普通車ってあったっけ?という感じである.(2015年10月23日記述)
スズキ精密工業正門近くのお客様駐車場もスズキ車専用の駐車場で,「スズキ車以外は,グランド南側駐車場をご利用下さい」という看板がある.(2015年10月23日記述)
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