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アビエス・リサーチ制作雑記

「JR東海」エリアに引っ越してきて

(2009年5月31日作成、2009年5月31日最終更新)

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 作者が生まれた当時,現在のJRは日本国有鉄道(国鉄)だった.小学生の頃,国鉄運賃は毎年のように値上げを行っており,「鉄道運賃というものは1年ごとに値上がりする」ことが当然のことだと思っていたくらいだった.

 1987年4月から,日本国有鉄道は分割民営化され,「JR」になった.当時は国鉄が「JR」という民間会社(正確な意味では発足当時は特殊会社)になった,すなわち「民営化」したという感覚だったが,次第に「分割民営化」の「分割」の意味というか,情勢が明瞭に分かってきた.

 作者は生まれてから国鉄分割民営化まで,現在の「JR東日本」管内で暮らしていた.そのため,「JR=JR東日本」の図式というか,イメージがイヤでも植えつけられていたと言ってもいいと思う.東京圏の15両編成にも及ぶ長大な通勤通学電車,1990年代にはじまった209系や701系車両の「走ルンです」車両の大量導入,DMH17系エンジンの新型エンジンへの換装による一掃,盆・正月のすさまじい帰省ラッシュ,東北・上越新幹線を機軸とした長距離列車とそこから枝のように伸びた在来線特急,特に通称「山形新幹線」「秋田新幹線」といわれる「ミニ新幹線」はJR東日本だけが行う独特の形態である.

 以上が「JR」のイメージだった.ところが2000年頃から山陰本線の国鉄型気動車詣でにハマったこともあって,JR西日本の区域に頻繁に出かけるようになった.それまでも大阪をはじめとしてJR西日本管内には何度か旅行はしていたが,この頃からJR東日本とはかなり異なる「イメージ」というかギャップを体験して,単なる「民営化」ではなく,「分割」して民営化した側面がいろいろと見えて刺激的だった.

 趣味的な観点から言えば,JR西日本のイメージというか施策は国鉄型車両を延命して使い続ける会社である.これが趣味的に非常にうれしい.そして,エリアが広い.

 作者が山陰詣でをしていた頃は新潟県内に住んでいたため,大阪圏へは北陸線経由で行くことがほとんどだった.実際には急行「きたぐに」を使って移動することが多かった.つまり,直江津以西からJR西日本管内になるのだが,鉄道趣味の視点からすると,新潟駅から「きたぐに」の583系に乗ってしまえば,直江津まではJR東日本管内であってもすでに車両も車掌もJR西日本であり,そこに展開しているのは「JR西日本ワールド」そのものなのだ.換言すれば,JR西日本は新潟駅まで食い込んでいるとも言える.

 このような「西日本ワールド」の「食い込み」は急行「能登」もしかりである.上野駅から急行「能登」に乗ってしまえばもうそこは「JR西日本ワールド」なのだ.このエリアというか「ワールド」の広さはすごい.

 ところで作者は2009年4月から愛知県に転居してきた.はじめての「JR東海管内」在住体験である.現在まで在住2ヶ月が経過した.あらかた予想はしていたが,JR東海のまとまりの良さというか,「ワールドの小ささ」をやはり感じている.

 113系や165系はすでに駆逐され,車両面での雑多感がないのもそれを助長していると思うが,改めて時刻表の路線図を見ると,JR東日本や西日本の路線が面的に展開しており,例えば管内のみで完結する片道乗車券であっても,大回りで一周できる乗車券の経路がいくつも考えられる.しかし,JR東海管内というのは,東海道新幹線(あるいは東海道本線)を大きな「幹」として,そこから御殿場線や飯田線,中央西線,武豊線といった「枝」を伸ばしているに過ぎず,強いて言えば太多線によって「一周部分」がかろうじて形成されているだけにすぎない.

 つまり,JR東海管内には「面的」な広がりがまったくと言っていいほどないのだ.それだけに,在来線列車の始終点走行距離は短かくなり,夜行列車,特に「管内完結」の夜行列車は発足当時からまったくなかった.これはJR旅客鉄道6社では唯一のようである.(2009年5月31日記述,6月11日一部加筆修正)



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