作者は千葉,茨城,岩手,新潟,そして現在の愛知と5つの県で生活してきたが,言葉のイントネーションの混乱が少なからずある.イントネーションに「正解」はないとは思うが(英語のような明瞭なアクセントを持つ言葉には正解があるとも言えそうだが,)その地域ごとにイントネーションの傾向があることは身をもって感じた.
特に地名の場合,その地域によって独特のイントネーションを持っていたりするので,時々はっとすることがあるが,新しく居住した場所で聞きなれないそこの地域のイントネーションを聞いても,しばらくするとそれに慣れてしまって,果たしてそこに住むまでの自分だったら,その地名をどのようなイントネーションで言っていたかどうかと考えてしまうことが時々ある.
新潟県在住中の例を挙げると,新潟市の繁華街として有名な「古町(ふるまち)」の場合,作者の感覚(以下,「作者の感」と表記)からすると,「ふるまち」(太字にアクセント,以下同様)だったが,新潟県の人は聞いた限り全員と言っていいほど,「ふるまち」のように,最初の音(「ふ」)に明瞭なアクセントがあった.
他には飯豊(連峰)の「いいで」を言う場合,作者の感覚では「いいで」と平板アクセントか,「いいで」のようなイントネーションとなるが,新潟県では「いいで」というイントネーションを頻繁に聞いた.越後湯沢の「ゆざわ」も新潟では「ゆざわ」ではなく,「ゆざわ」と言っていたような気がするが,ちょっと自信がない.
信越本線の「黒井」駅は新潟では「くろい」だが,作者の感では「くろい」である.しかし,周囲の人が皆「くろい」というので,それに慣れてしまった.ちなみに,色が黒い場合の「くろい」は作者の感では「くろい」となる.
このように,新潟では単語の先頭にアクセントが来ることが多い.地名以外では,圧力(作者の感:あつりょく)が「あつりょく」に,うしろ(作者の感:うしろ)が「うしろ」,柱(作者の感:はしら)が「はしら」,以下,「役場」「田んぼ」「握力」「畑」「いちご」「四月」などは新潟では明瞭に先頭にアクセントが来る.佐渡に在住していた時,佐渡の人がクジラ(鯨)のことを「くじら」(作者の感:くじら)と言っており,最初聞き取れなかったことがあったが,本土側ではこのアクセントは耳にしていない.
愛知県在住前は,愛知県全体が名古屋弁を話しているような先入観があったが,豊橋市に在住してみると,名古屋の言葉とはかなり異なる「三河弁(正確には東三河弁であって,岡崎等の西三河弁とはかなり異なるらしい)」を耳にする.とにかく,名古屋と三河では文化や人間性はかなり異なるようである(尾張藩と三河藩だから,と地元の人は言っているが,名古屋に在住したことがなく,作者には正直よく分からない).
地名のイントネーションにはなかなか慣れないというか,恐らく作者が地元のイントネーションを真似して話す地名は違和感のあるイントネーションなんだろうと思う.何も考えずに話せばいいのだが,時としてイントネーションのせいで通じないことがあるので,極力真似するようには心がけている.
恐らく「東京圏の人であればこう言うだろう」という愛知県の地名のアクセント(イントネーション)を挙げると,岡崎(作者の感:おかざき)は三河(豊橋)では「おかざき」(あるいはどこにもアクセントがないようにも聞こえる),刈谷(作者の感:かりや)は三河では「かりや」(これも平板に近い),知立(作者の感:ちりゅう)は三河では「ちりゅう」,新城(作者としては「しんしろ」なのか「しんしろ」なのか,もはや過去の記憶が曖昧になっている)は三河では「しんしろ」,御油(作者の感:ごゆ)は三河では「ごゆ」(これの先頭へのアクセントは非常に明瞭である).ただ,これらも豊橋や蒲郡や知立や岡崎の人ではそれぞれイントネーションが微妙に異なるらしのだが(地元の人は,どこどこの人の言葉だ,と分かるらしい),作者にはその違いは分からない.
それにしても,岩泉線の「岩手刈屋」駅は作者は「いわてかりや」と発音するが(東京圏,東北圏の人は恐らくそう言うものと思うが)を三河圏の人が言うと,「いわてかりや」になるのだろうか.それともやはり「いわてかりや」になるのだろうか.謎である.
愛知の地名のアクセントで作者自身が混乱してよく分からないのが「春日井」で,作者の感では「かすがい」だったような気がするのだが,こちら(三河)ではほぼ平板アクセントで,強いて言えば一番うしろの「かすがい」にアクセントが来る.ちなみに,作者は埼玉県の「春日部」は「かすかべ」(ほぼ平板だが,強いて言えば最後にアクセントが来る感じか)と発音していた気がする.なぜ作者の感が「かすがい」ではなく「かすがい」なのか考えてみると,「かすがい」のイントネーションは梁などを固定する「鎹」になってしまうからだと思う.
電車の肉声車内放送は,その地域のイントネーションを地域住民と同様に発音している場合が多いように感じる.前述の「岡崎」「刈谷」「新城」「御油」などは注意深く聞くと,作者の感とは異なるアクセントで放送している.銀座線の「京橋」は「きょうばし」と言っているが,大阪環状線・京阪の「京橋」は「きょうばし」である.山陰本線や因美線で鳥取(駅)を「とっとり」(作者の感:とっとり)と言っていた車内放送を聞いたときには驚いてしまったものである.
とにかく,作者の頭の中は混乱している.実は東京圏の地名のアクセントについても先日自信を失う出来事があった.横浜在住の高齢の方に電話で,「今,杉田に居ます」と言ったら,「え?どこ?聞こえないよ」と言われた.雑踏の中で電話をかけたこともあるのだが,杉田(京急線)のイントネーションは,少なくとも横浜では「すぎた」となるらしい.それを作者が「すぎた」と言ったため,通じなかったようである.前述の「くじら」と同じような例である.
そこで,根岸線の「しんすぎた(新杉田)」は何て言うのか,その横浜の人に尋ねたところ,作者の感と同じ「しんすぎた」であった.今度京急線に乗る機会があったら,肉声の車内放送に耳を傾けてみたい.(2009年10月5日記述)
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