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アビエス・リサーチ制作雑記

「おしえてアルムのモミの木よ」の「モミ」は何の木か

(2016年7月22日作成)

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岩手県花輪線安比高原駅 2005年6月20日 Nikon New FM2 Nikkor 35mm F1.4S KR・コダクローム64

 1974年にテレビ放映されたアニメ「アルプスの少女ハイジ」のオープニングテーマ「おしえて」の最後の歌詞(ヨーデル部を除く)は「おしえてアルムのモミの木よ」です.ここで言う「モミ」の木が何であるのか,調べてみました.

 標準和名モミ(Abies firma)は日本固有種ですから,「ハイジ」の「モミ」はAbies firmaではないモミ属の樹種かと思われます.ところが,アニメでアルムおんじの小屋の裏等に生育する「モミ」の描写を見ると,球果が大きく垂れ下がっていることや,枝葉の描写からモミ属樹種ではなく,トウヒ属Piceaの樹種に見えます.

 アニメ「アルプスの少女ハイジ」のキャラクターデザインに携わった小田部羊一さんのイラスト集「『アルプスの少女ハイジ』小田部羊一イラスト画集(廣済堂出版,2013年)」にある小田部さんへのインタビューに,「小田部:細かいところですけど,樅の木を見上げるところで揺れる枝にぶら下がっている松ぼっくりなんかは,実際に僕が向こうで拾ってきたものが役に立ってます」とあります.松ぼっくりとは球果のことです.小田部さんは「樅の木」と言っていますが,トウヒ属の球果を拾ってきたものと思われます.

 この疑問にすっきりとした回答を出したのが,ちばかおり著「アルプスの少女ハイジの世界」(求龍堂,2008年)にある,「樅の木はモミじゃない?」というコラムです(p.20).

 コラムには「アルムの山小屋の『樅の木』と呼ばれている木は,正確にはドイツトウヒ(Picea abies)で,モミとは別の種類です.ドイツトウヒはドイツでは赤いモミと呼ばれ,学名自体もモミと同じ(abies)がつけられているので,よく混同されるそうです.モミ属の種子は上向きにつき,やがて木に芯だけ残して分解してしまいます.それに対してドイツトウヒは,アニメでも描かれていたように,下向きに大きな松ぼっくりをつけます」とあります.

 補足すると,「種子」とあるのは「球果」です.種子そのものは球果の中に多数が詰まっています.小田部さんがスイスの現地で取材した際に松ぼっくり(球果)を拾ってきて,それらを参考にアニメで「樅」の描写をしたということですが,実際に現地に生育しているドイツトウヒが極めて正確に描けていることがよく分かります.

 クリスマス・ツリーでもそうですが,トウヒ属樹種のツリーも,日本でも「モミの木」と呼びますし,それはドイツや恐らく英語圏(モミの総称はfir)でも同様と思います.ハイジがアルムの小屋周辺のドイツトウヒを「モミの木」と言っているのは何もおかしいことでも間違いでもないことが分かります.

 「アルプスの少女ハイジ」の原作ではどう書いてあるのでしょうか?原作者はヨハンナ・スピリ(シュピリとも)というドイツ人で,原作はドイツ語です.日本語訳で原作に近い訳と言われる若松宣子訳「ハイジ(1)」「ハイジ(2)」(偕成社文庫,2014年)ではアルムの小屋裏にある木は「モミ」と訳されていますが,(2)巻で先生(フランクフルトの医師)と山の散歩するシーンに,「モミの木の樹脂や,香りの強い針のような葉をした,黒いトウヒの木」という記述があります.わざわざモミとトウヒを分けています.

 英語訳(「Heidi」Wordsworth Editions Limited, 1993)の該当箇所はというと,「from the aromatic fir trees and the dark pines with their scented needles...」となっています.英語訳の「Heidi」ではモミは一貫して「fir tree(s)」でしたが,ここで初めて「the dark pines」なるものが出てきます.

 ドイツ語の原作も調べました,該当箇所は「so in den harzigen Tannen und in den dunklen Fichtenbäumen mit den duftenden Nadeln」となっています.

 この箇所の日本語訳の「モミの木」は原作では「Tannnen」,「トウヒ」の部分は「den dunklen Fichtenbäumen」です.なお,私が原作を読んだ限り,「den dunklen Fichtenbäumen」という樹種が登場するのはこの部分だけです.dunklenは英語のdarkに相当し,黒っぽい,暗い,といった意味,Fichtenbäumenはズバリ「ドイツトウヒ」のことです.原作ではアルムの小屋の周辺にある「モミ」は一貫してTanne です.

 繰り返しになりますが,クリスマス・ツリーの場合なども,トウヒだろうとモミだろうと,総称として「モミ」と言ったりします.「モミの木モミの木・・・」という歌詞のクリスマスソングもあります(ドイツ語歌詞は「O Tannenbaum, o Tannenbaum,...」).

 恐らく,ヨハンナ・スピリ自身も「モミ」と「ドイツトウヒ」とを区別することはせず,先生(医師)とのやりとりの箇所のみ,香料のことなどを参照した図書からden dunklen Fichtenbäumen,ドイツトウヒを引用したものと思います.

 英語訳でFichtenbäumenをpineと訳したのは誤訳と思われます.spruceの方が正確な訳と思います.英訳者もこれらの樹種について,正確に認識していたとは思えません.日本語訳(若松宣子訳)はドイツ語版から訳したためか,Fichtenbäumenを「トウヒ」と訳しています.もし,この英訳版から日本語訳していたとすると,dark pine の箇所を「黒いマツ」あるいは「クロマツ」と訳していたかもしれません.アルプスの山々にクロマツはあり得ません.

 前述のように,小田部さんがアニメ制作にあたって現地で拾ってきた球果はドイツトウヒのものですし,前出のちばかおりさんの著書「アルプスの少女ハイジの世界」のアルムの小屋付近で撮影したという針葉樹の写真(p.20)は,これもドイツトウヒです.

 以上のことから,「アルプスの少女ハイジ」に出て来る「モミの木」はドイツトウヒ Picea abies で間違いないと思います.

 当ページの写真は花輪線安比高原駅で,背後に生育する針葉樹の高木はすべてドイツトウヒPicea abiesです.ドイツトウヒの別名はヨーロッパトウヒあるいはオウシュウトウヒと言われます.それらの和名のとおり,ヨーロッパ原産の針葉樹で,安比高原駅周辺に生育しているものは,すべて人の手で植栽されたものが起源です.要は移入種です.

 これらの木を文学作品でいちいち「ドイツトウヒ」「トウヒ」とするより,「モミ」とした方が,読み手にどんな木かが「的確」に(悪い言い方をすれば安易に)伝わるはずです.これは日本でも,恐らくドイツでも同様のことなのだと思います.(2016年7月22日記述)



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