TOP更新情報カテゴリ路線別列車別鉄道サウンド切符リンク集岩手県の魅力当サイトについて撮影機材

北陸本線旧線・敦賀〜今庄

(2010年4月27日作成,2010年4月27日最終更新)

JR線 廃止路線・経営転換路線 北陸本線旧線・敦賀〜今庄へ戻る

JR線 北陸本線(米原〜富山)へ戻る


 このページでは敦賀〜今庄間に敷設されていた北陸本線の旧線跡について,探索した写真を紹介します.当区間は便宜上,駅ごととせず,区間全体を踏査した際の写真を敦賀から今庄方に向かって紹介いたします.

引用・参考文献.宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩く 失われた鉄道実地踏査60」,JTB,1995.
北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 1962年,福井県の敦賀〜南今庄間に延長13,870mの北陸トンネルが開通した.これにより,敦賀から連続25‰の連続勾配を擁する今庄駅までのいわゆる「山中峠越え」区間は廃止されたが,自動車道路へと用途換えされ現在に至っている.

 現在,北陸本線の下り列車は敦賀駅を出発するとすぐに直流から交流へのデッドセクションを通過し,北陸トンネルへと入るが,その手前側にかつては深山(みやま)信号場がり,そこから旧線跡は続くが,かつての線路敷の大部分は現在の国道476号線になっている.国道476号は木ノ芽川に沿って標高を上げていくと,やがてスイッチバック構造だった新保駅跡に辿り着く.

 写真はその新保駅跡.右の白い車庫の部分にホームがあったらしい.そして,その左の墓地になっている盛土部分がスイッチバックの敦賀方引き上げ線跡だったようである.なお,新保駅があった集落名は「獺河内(うそごうち)」という.「獺」という漢字はカワウソのことらしい.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 国道476号脇のかつてポイント切替の梃子があった位置には「新保駅跡」の記念碑が立っている.写真下部の黒い石板にはスイッチバックの構内配線図が刻まれている.背後の道路は北陸自動車道の下り線.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 国道側から記念碑を見るとポイント梃子跡地に見えないが,裏側に回りこむといかにも鉄道施設らしいコンクリート擁壁で基礎が築かれていることが分かる.左の道路が北陸自動車道,右のカーブ連続注意標識が国道476号のもの.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 葉原信号場〜杉津 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 新保駅跡から国道476号を登り,葉原集落で県道207号へ左折する.道路はいかにも線路敷を流用したと分かる築堤となっており,走っていてなかなか爽快だが,かつての鉄道は急勾配に喘ぎながら登っていたものと思われる.

 線路はこの先,日本海岸沿いへ抜けるが,その前に葉原トンネルで山越えをする.写真は葉原トンネルの南側(敦賀方)入口.かつてこのトンネルの手前(敦賀)側には葉原信号場があり,列車の行違い等を行っていたという.葉原トンネルを県道に流用した現在もトンネル延長が長く,カーブしており見通しが悪いため,信号機による一方通行となっている.右の高い位置に北陸自動車道下り線が走っており,北陸本線旧線とほぼ同じ線形の「葉原トンネル」が開削されている.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 葉原信号場〜杉津 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 葉原トンネル内部.下部は石積み,上部はレンガ積みと思われるが,上部にはコルゲートで補強されていた.かなりカーブしているが,カーブの「具合」がいかにも鉄道っぽいオーラを放っている.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 杉津 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 杉津(すいづ)駅跡.現在は北陸自動車道上り線の「杉津パーキングエリア」になっている.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 杉津 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 杉津駅構内は均され,パーキングエリアに変わってしまったため,原形はまったく留めていないが,日本海を望む眺望は今も堪能できる.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 杉津という読みは知らないと「すぎつ」「すぎづ」と読んでしまうためか,PAの非常電話には「スイズ」(スイヅではない)のフリガナが振ってあった.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 北陸本線の旧線(敦賀〜今庄間)は途中,山中峠という峠のほぼ真下を山中トンネルで抜けるが,その直後(今庄側)にはスイッチバック構造の信号場「山中信号場」があった.写真は山中トンネルの今庄側入口.トンネルの左脇にもトンネルのポータルが見えているが,これはスイッチバックの敦賀方引き上げ線の末端部分に設けられたもので,数十メートルで行き止まりとなっていた.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 前述の敦賀方突っ込み線のトンネル開口部.スイッチバック構造の山中信号場が開業した時にはこのトンネルはなかったが,編成長を延長させるために突っ込み線を延伸する必要があったため,突っ込み線の終端をさらに山側へ追い込むためにこの行き止まりのトンネルを掘削したという.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 突っ込み線トンネルの内壁.竣工年月と思われる「1956-3(1956年3月)」と,「50」という数字が型取ってあった.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 突っ込み線トンネルの内壁にはガイシも残置してあった.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 突っ込み線の終端部.信号機?を設置していた?ポール状のものが立っていた.路盤部分には産廃?が盛られていた.また,地下水が流れていた.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 突っ込み線のトンネル内から今庄方面を見たところ.スイッチバックのシザースクロスはさらに先にあった.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 山中信号所のシーザスクロス・ポイントが設置されていた付近には信号場の解説板が立っていた.解説の全文は以下のとおり.なお,解説文中の図にあるA〜D線は次掲の写真を参照されたい.

 「山中信号場 待避線跡地/当時の北陸線であった敦賀−今庄間は,海抜8メートルの敦賀駅から,南条山地の山中峠の下をくぐり,海抜265メートルの山中信号場まで前後14キロメートルにわたって1000分の25の上り勾配が連続し,しかも曲折が激しかった.

 山中信号場からは,これまた1000分の25の急勾配で大桐駅まで一気に駆け下りるという,現在の鉄道設計では考えられない過酷な路線であった.また,列車の停車や通過列車の待避は,急勾配の線路上では不可能で,水平な折り返し線や待避線路を使わないと停車や発車はできなかった.

 このため,敦賀−今庄間には,敦賀市の新保,葉原ならびに南越前町の山中に,列車の折り返し線と待避線路を併せ持った施設としてスイッチバックが設けられた.

 この方式は単線列車往来の一つの待避方法として,初期の鉄道敷設時代に考え出されたシステムである.

 上の図は,山中信号場のスイッチバックの状況である.急勾配の本線A(今庄方)の大桐駅から上ってきた列車は,いったん勾配のないBの折り返し線に進入し,バックで上りの待避線Cに入って信号待ちする.下り列車通過した後に,この水平な待避線から発車し,勢いをつけて元の本線に進入してDの山中トンネルに入り,敦賀に向かった.下り列車が待避した場合は,上り列車が通過後,本線もしくは折り返し線に入り,大桐駅へ向かった.したがって,待避線は上りと下りの複線になっていた.なお,現在地は待避線上りの入口である.
 1962(昭和37年)年3月,北陸トンネルの完成による北陸本線の開通で杉津線は廃線となり,現在,生活・産業道路として利用されている./南越前町」(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 解説板の図.今庄方の待避線(突っ込み線)が複線だった等,規模は大きな信号場と言える.イラストの列車では機関士らは笑顔で手を挙げている絵が描かれているが,トンネルでは煤煙に巻かれ窒息事故もあったりして,実際には命懸けの乗務だったはずである.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 シーザスクロス・ポイントがあった付近は平地がかなり広くなっている.奥が敦賀方になるため,登り勾配がついている.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 今庄方の突っ込み線の途中から今庄方を見たところ.左の草に覆われた水平な地面が突っ込み線で,前述のように複線分あった.右下のアスファルト道がかつての本線線路敷.すでに突っ込み線とはかなりの比高があることから,信号場がいかに急な箇所に造られたかがわかる.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 今庄方突っ込み線の終端付近は落石覆いが複線分設置され,2010年現在もその覆いが残置されている.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 今庄方突っ込み線の落石覆い.右が上り列車の突っ込み(待避)線用,左が下り列車用.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 突っ込み線の終端側から見た落石覆い.写真奥が敦賀方になる.山中信号場の突っ込み線は想像していたよりはるかに長く,この今庄方の突っ込み線と敦賀方の突っ込み線(終端部に行き止まりトンネルが掘られたもの)との距離がこれまた想像よりもはるかに離れており,信号場の規模の大きさが現地へ行ってみてはじめて分かった.北陸本線がいかに日本の大動脈路だったかが如実に理解でき,現地踏査をしたことは本当に大きな収穫だった.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 かつての本線上に立って敦賀方を見たところ.右上の落石覆いが前掲の今庄方突っ込み線のそれ.本線と突っ込み線の比高は相当にあった.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 大桐駅跡.写真奥が敦賀方になる.ホームの一部が残っていた.右の人物は当日一緒に探索した作者の先輩.(2010年4月27日記述)



北陸本線旧線 新保 2010年4月23日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 ホーム上には看板や解説板が立っている.花壇もきちんと手入れされていた.

 この先の南今庄駅今庄駅については現在の北陸本線上にあるため,当日の探査状況は別ページに掲載した.(2010年4月27日記述)



ページの先頭へ戻る


アビエスリサーチ トップへ戻る

inserted by FC2 system