2000年当時から可部線末端区間の可部〜三段峡間は廃止が取り沙汰されていたため,一度は乗っておこうと訪問した時の写真だが,今になって撮影したポジを見ると,ほとんど何も写真を撮ってきていないことに我ながら愕然とした.
たまたま撮っていた可部線の終端部だが,実はこの先,山陰本線浜田まで「今福線」という名称で繋げる計画だったらしい.三段峡から先はいきなり橋梁とトンネルでぶち抜く線形計画だったらしく,改めてこの写真を見ると,いつでも線路の続きは造れますというオーラを放っている.それに注目は旅客列車の停車位置からはみ出す,線路末端ギリギリまで除雪してあることと,機回しができる設備があることだろう(ポイントのテコまであるが,実際は線路が一部剥がされ,すでに機回しは不可能だった).手元の昭和40年代の時刻表を見ても,加計〜三段峡はディーゼルカーのみで,客車列車の設定はなかったようで,機関車牽引の臨時列車か保守用車両の釜回しでもない限り,この機回し線は使われたことはほとんどなかったと思う.もしそのような写真等お持ちの方がいらしたら是非見てみたいものである.
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