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三河槙原駅〜柿平駅 飯田線

(2013年10月21日作成,2013年12月16日最終更新)

JR線 飯田線(豊橋〜天竜峡)へ戻る


飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 写真奥が柿平方(豊橋方)になる.この区間の飯田線は宇連川(うれがわ)沿いに走っているが,飯田線大海〜三河川合間の線形となっている線路敷のほとんどは望月街道と呼ばれる車道部分をそのまま鉄道線路敷へと工事したものと言う.この「望月街道」は現在の本長篠駅近くで日用雑貨品を扱っていた「久保屋」という豪商の初代・望月喜平治(1822〜1893年)が私財を投じて建設したものという.(2013年10月6日記述,12月6日加筆修正)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 コンクリート壁が線路際まで迫っている.(2013年10月6日記述)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S(2枚の写真を左右貼り合わせてある)

 前掲のコンクリート壁部分に関して,少なくとも2枚の工事銘板が見つかった.左のものは情報がかすれてほとんど読めないが,「昭和41年3月30日」しゅん工のように見える.一方,右の銘板は明瞭に情報が読み取れる.竣工は昭和33年(1958年),双葉鉄道工業株式会社が施工している.(2013年10月6日記述)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 線路奥,宇連川の川岸(右岸)上部にある廃レール等を組んだ土台は,落石警戒番舎の跡と思われる.かつて飯田線本長篠〜天竜峡間には36か所の落石警戒番舎が設置され,保安区職員が番舎中心に前後約1kmの区間を常時パトロールし,落石等の早期発見に努めていたという.特に異常がない場合,保安区職員は列車通過時に旗やカンテラを振って安全を乗務員に知らせていた.なお,三河槙原〜柿平間には2か所の番舎があったらしい.(参考文献:鳳来町教育委員会編,1997「鳳来町史 交通史編」).(2013年10月6日記述,10月24日加筆修正)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 写真奥が三河槙原方(豊橋方)になる.前掲の落石警戒番舎跡と思われる土台(線路左側)とコンクリート擁壁(奥).番舎は落石が多発したであろう急傾斜地直下を避けて設置されたようである.前述の文献の145ページには三河川合〜柿平間の落石警戒番舎の写真もあるが,この撮影位置とは異なるようである.(2013年10月6日記述)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 飯田線線路脇の道路に岩盤が覆いかぶさるような箇所もある.写真奥が柿平方.(2013年10月6日記述)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 架線のビームはほぼ垂直な岩盤に直接支持してあった.(2013年10月6日記述)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 道路側にオーバーハングしている岩盤だが,一部は道路用地を確保するために表面から削り落としたらしい.オーバーハング部だけ岩盤の色が明るい.(2013年10月6日記述)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 線路沿いの道路には「望月街道」の看板も立っていた.写真奥が三河槙原(豊橋)方になる.(2013年10月6日記述,12月16日加筆修正)



飯田線 三河槙原駅〜柿平駅 2013年9月21日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 線路脇山腹の一部は鉄道防備林に指定されていた.巨石が累々と積もっている.写真奥が三河槙原(豊橋)方.(2013年10月6日記述)



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