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大嵐駅 飯田線

(2008年11月4日作成,2012年1月20日最終更新)

JR線 飯田線(豊橋〜天竜峡)へ戻る


飯田線 大嵐駅 2005年5月3日 NikonCoolpix2500

 島式ホームの大嵐駅は,豊橋方の大原トンネルと,辰野方の大嵐トンネルに挟まれてホームが存在している.

 写真はホームから豊橋方を見たところ.ホームの端はすでにトンネルの入口にかかっているほどである.豊橋方の大原トンネルは5,063m(資料により,5,062mとも)の長さ持ち,JR在来線では第22位の長さを誇る.(2008年11月4日記述)



飯田線 大嵐駅 2005年5月3日 NikonCoolpix2500

 ホームから辰野方を見たところ.「44 大嵐」のトンネル名が右に見えている.ホームこそトンネルにはかかっていないが,転轍器と下り出発信号機は完全にトンネルの中になる.(2008年11月4日記述)



飯田線 大嵐駅 2005年5月3日 NikonCoolpix2500

 大嵐トンネルの中の様子.レールの敷地と同じ様にしてトンネル断面も徐々に狭くなっている.険しい地形を走る飯田線ならではの「飯田線ワールド」が炸裂している.(2008年11月4日記述)



飯田線 大嵐駅 1503M 2011年9月8日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 大嵐トンネルへと入り,次駅・小和田を目指す下り列車.(2011年10月1日記述)



飯田線 大嵐駅 2011年9月8日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 自家用車で駅前まで送迎され,大嵐駅から通学する高校生.恐らく天竜川を挟んだ対岸にある愛知県旧・富山村(とみやまむら)(現・豊根村)からの通学生と思われる.愛知県から静岡県浜松市の大嵐駅へ車で送迎してもらい,大嵐駅から中部天竜駅近くの学校(恐らく静岡県立佐久間高校)への通学と思われる.なお,旧・富山村中心部から大嵐駅までの道路上の距離は約2km.(2011年10月1日記述)



飯田線 大嵐駅 520M 2011年9月8日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 大嵐駅7:16発の豊橋ゆきに乗車する通学の高校生.当日は4人の乗車があった.なお,作者が当日確認した限り,大嵐駅から長野県方面へ通学する旅客は見ていない.(2011年10月1日記述)



飯田線 大嵐駅 554M 2012年1月16日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 大嵐駅利用者で大部分である愛知県豊根村富山(とみやま)地区(旧富山村)における郵便管轄は,静岡県浜松市の水窪郵便局となっており,水窪から富山地区までの集配達に飯田線の列車を利用している.写真は郵袋を手に上り普通列車の到着を待つ郵便局員.なお,旧富山村の郵便番号も愛知県内のコードではなく,静岡県浜松市西区のコードになっており,富山村は大嵐駅(駅の所在地は静岡県浜松市)をはじめとして静岡県との結びつきが猛烈に強い.(2012年1月20日記述)



飯田線 大嵐駅 527M(左・車外)・554M(右・車内) 2012年1月16日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 当日は中央東線の遅延を受け,飯田線上りの554M(岡谷始発)が遅れて運転していたことから,所定では水窪で交換となる下り527Mとの列車行き違いが大嵐で行われた.写真は213系化した554M車内から見た527Mとの列車交換シーン.ホームの作業員らは554Mから下車していた.(2012年1月20日記述)



飯田線 大嵐駅 2000年1月9日 Nikon F3 RA・フジクローム Sensia100

 現在の大嵐駅ホームの南西側に残る旧線時代のホーム跡.写真奥が辰野方になる.旅客ホームではなく,貨物ホーム跡らしい.(2012年1月20日記述)



飯田線 大嵐駅 2011年9月8日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 駅前は佐久間ダムの水面(佐久間湖)となっている.しゅんせつ船と思われる船が上流側へ通った.(2011年10月1日記述)



水窪小学校大嵐分校跡 2005年5月4日 NikonCoolpix2500

 大嵐駅と同じ旧水窪町には,駅から直線距離で約12km離れた場所にも「大嵐」という地名がある.写真のバス停はその「大嵐」バス停で,撮影当時は水窪町営バスが火曜日と金曜日にのみ運転されていた.小畑〜大嵐間の2往復,つまり週に4往復が運転されていた.

(※:JR飯田線大嵐駅とは直線で12km離れた場所で,地名が同じこと以外,関係ありません)(2008年11月4日記述)



水窪小学校大嵐分校跡 2005年5月4日 NikonCoolpix2500

 大嵐バス停近くに,水窪小学校大嵐分校入口の標識とコンクリート路面の坂道があった.この坂道を登っていくと,大嵐分校の廃校が残っている.

 (※:JR飯田線大嵐駅とは直線で12km離れた場所で,地名が同じこと以外,関係ありません)(2008年11月4日記述)



水窪小学校大嵐分校跡 2005年5月4日 NikonCoolpix2500

 旧校庭から見た校舎.木造平屋建てである.廃校後は一時,宿泊施設として使われたこともあるらしい.

 (※:JR飯田線大嵐駅とは直線で12km離れた場所で,地名が同じこと以外,関係ありません)(2008年11月4日記述)



水窪小学校大嵐分校跡 2005年5月4日 NikonCoolpix2500

 分校時代からの下駄箱だろうか,地元民のものと思われるサンダル類が入っていた.

(※:JR飯田線大嵐駅とは直線で12km離れた場所で,地名が同じこと以外,関係ありません)(2008年11月4日記述)



水窪小学校大嵐分校跡 2005年5月4日 NikonCoolpix2500

 ガラス越しに見た旧教室内.地元の公民館的施設として使われているらしい.

(※:JR飯田線大嵐駅とは直線で12km離れた場所で,地名が同じこと以外,関係ありません)(2008年11月4日記述)



水窪小学校大嵐分校跡 2005年5月4日 NikonCoolpix2500

 校庭の沢側に残された遊具類.かなり錆びている.

(※:JR飯田線大嵐駅とは直線で12km離れた場所で,地名が同じこと以外,関係ありません)(2008年11月4日記述)



水窪小学校大嵐分校跡 2005年5月4日 NikonCoolpix2500

 校庭から山側を見たところ.石積みの上に家屋が建っている.険しい山の中に分校があり,かつては多くの子供が通っていたのだろう.過疎,少子化も進み,分校がなくなり,水窪町も2005年7月に合併で浜松市になった.

(※:JR飯田線大嵐駅とは直線で12km離れた場所で,地名が同じこと以外,関係ありません)(2008年11月4日記述)



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