TOP更新情報カテゴリ路線別列車別鉄道サウンド切符リンク集岩手県の魅力当サイトについて撮影機材

城西駅〜向市場駅 飯田線

(2010年11月21日作成,2014年4月19日最終更新)

JR線 飯田線(豊橋〜天竜峡)へ戻る


飯田線 城西駅〜向市場駅 2010年6月20日 Nikon Coolpix S600

 「S字橋」「渡らずの橋りょう」として有名な水窪川第6橋りょう.写真手前の城西駅側(左岸・東側)からの線路は水窪川を渡らず,河川敷の中途から再び左岸に戻っていく線形を取る極めて珍しい橋りょうで,「飯田線ワールド」を語る上で欠かせない橋りょうとなっている.

 もともとは水窪川左岸(東側)に沿ってトンネルを掘削していたが,土質が極めてもろい中央構造線断層内にぶち当たり,供用が困難であったため,止むなく山を「迂回」し,水窪川側に橋りょうを “(” 字形にせり出す線形で建設が進められた.「C字橋」という名称でもいい気がするが,橋りょうのさらに南側(後掲)から見ると,確かにこの部分の線形は「S字」に見える.(2010年11月21日記述,2011年5月17日加筆修正)



飯田線 城西駅〜向市場駅 23M 2000年1月10日 Nikon FM10 FUJICHROME RA100

 S字橋こと,水窪川第6橋りょうに差しかかった下り特急「伊那路3号」.冬季の撮影のため,水窪川の水量が少ない.(2010年11月21日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 22M 2000年1月10日 Nikon FM10 FUJICHROME RA100

 向市場方から水窪第6橋りょうを回りこんできた上り特急「伊那路2号」.このような両岸で挟み合わない橋というのは構造的にはもろいらしく,苦肉の線形と言える.(2010年11月21日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2010年6月20日 Nikon Coolpix S600

 水窪川第6橋りょうの南側から向市場方を見た写真.この位置だとかなり「S字」に見える.線路脇には茶畑が点在する.(2010年11月21日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 水窪川第6橋りょうの南側(城西方)取り付き点の写真.もともとは水窪川左岸(上流から見ての左右岸)を通り,途中の小尾根はトンネル(向皆外(むかがいと)トンネル)で貫通させる線形だった.東海旅客鉄道株式会社飯田支店監修「飯田線百年ものがたり」,新葉社,2005.の「渡らずの橋りょう第六水窪川橋りょう新設」の項には,「水窪川左岸の山端を貫く延長45mの向皆外トンネルで向市場方とつながる計画であり,同橋りょうの架設は計画されていなかった.しかし,向皆外トンネル豊橋方坑口(*印刷は「抗口」とあるが,「坑口」の誤りだろう)より23mほどアーチを畳築した時,台風の連続襲来があり地表が崩れてトンネルの一部崩壊があった.加えて同トンネルの地山の移動も大規模なものがあり,規定の線路を建設することがほとんど不可能と判断され,線路を変更して第六水窪川橋りょう(400.7m)が新設された」とある.

 このように,向皆外トンネル周辺の工事自体はほぼ完了していたため,2011年現在も放置された線形の一部を確認することができた.以下,踏査結果をご紹介する.この写真の左下から右上に向かって書かれた白矢印はもともとの線形.矢印の先が向市場方になる.(2011年5月16日記述,6月4日加筆修正)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 もともと計画,工事された水窪川左岸側の線形(白矢印).水窪第6橋りょうとの分岐点付近ではこのように線路用地の跡地が残っていた.写真奥が城西方,手前(矢印方向)が向市場方になる.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 第6水窪川橋りょう取付点付近でははっきりしていた線路敷も,やがて不明瞭になり,一見して山腹斜面地形になってしまう.なお,この先には1954年に開通(貫通)したものの,供用開始前に変形により供用不能となった向皆外(むかがいと)トンネルの遺構が残っている.

 写真奥が向市場方で,写真左の矢印部分に水窪川第6橋りょうが写っている.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 未供用に終わった線路敷と思しき斜面をゆくと,「この先ワナ有り キケン」の立て札が現れた.「キケン」とはあるが,「立ち入り禁止」や「入るべからず」的なことは書かれていなかったのでそのまま進む.(2011年5月16日記述,5月17日加筆修正)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 そのままゆくと,前述の未供用に終わった向皆外トンネルの遺構が現れた.写真は「この先ワナ有りキケン」立て札とトンネル遺構(写真左上の矢印)との位置関係.ワナ=トンネル遺構,ということだろうか・・・?(後述のように,ワナについては別途仕掛けてあったことから,トンネルのことではないらしい).(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 向皆外トンネルの南側(城西方)入口.撤退後に山腹が崩壊して埋まったのか,あるいは線路敷をある程度埋め戻したために線路敷部分が斜面になったのかは不明である.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 トンネル入口の変形状況.なお,入口部分は延長12.5mのコンクリート製落石覆いを追加で施工したらしいため,写真の構造物は正式には「トンネル入口」ではなく,「落石覆い入口」ということなるが,上辺部には大きな亀裂が生じ,写真左下の水平打ち継部分に大きな隙間が生じているのが分かる.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 落石覆い全景.側面の隙間は前述の水平打ち継部のずれである.コンクリート製の落石覆いが終わる写真中央左奥が「向皆外トンネル」の入口になるが,観察不能だった.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 落石覆い入口の上部付近まで上がって撮影,写真右奥が向市場方になる.中央にある垂直なコンクリート壁面が落石覆い入口の上部になる.覆いの天頂部に盛土を行い,落石覆い上部の山腹を緩くする設計だったらしく,覆いの谷側(=水窪川側)に土留工(写真上部左側にある擁壁状の構造物)が残っていた.写真に写っているスギは恐らく植栽されたものだろう.なお,この未供用部分の土地所有者が国鉄(国有地あるいはJR東海)なのか,(JR東海以外の)私有地かは不明.(2011年5月16日記述,5月17日加筆修正)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 落石覆い入口の天頂部.写真左下の矢印方向が城西方になる.天頂部のコンクリート断面は凹形になっており,水はけが考慮されていた(写真下から上へ伸びる矢印)が,凹部は土砂や枯葉で埋没している.写真右のほぼ垂直に立った構造物が前述の土留工.写真上部(分かりにくいが,白色の下向き矢印)に第6水窪川橋りょうが写っている.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 落石覆い天頂部に登って水窪川第6橋りょうを見た構図.写真右が向市場方になる.向皆外トンネルの完成が1954年,第6水窪川橋りょうを含めた佐久間〜大嵐間の新線区間の開通が1955年であることを考えると,これらの構造物はかなりの突貫工事で完成されたものと思われる.

 落石覆い入口上部のコンクリートには大きな亀裂もあるため,天頂部に登ると底が抜けるのではないか?という恐怖感がある.なお,土留の一部(写真中央のスギの右側)にも大きな亀裂が入っている.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 向皆外トンネル入口付近から見た第6水窪川橋りょう.写っているコンクリート護岸は水窪川右岸のもので,橋りょうはこの右岸へ「渡らず」,再度左岸へ戻り,変形して供用不能となった撮影立ち位置を「迂回」している.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 向皆外トンネル付近の表土.ぐずぐずの石であり,シロウト判断では破砕帯の堆積物と思われる.恐らく向皆外トンネル付近の尾根は地山(固い岩盤状の土質)ではなく,上部から崩落したぐずぐずの土石が堆積しただけの山なのであろう(あくまで推測です).石は青味がかった色をしていた.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 付近で見つけたワナと思われる籠.(2011年5月16日記述)



飯田線 城西駅〜向市場駅 2011年5月15日 CASIO EX-ZR10

 これもワナなのだろうか.何らかの「仕掛け」が設置されていた.(2011年5月16日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 512M 2013年4月14日 Nikon D200 Ai AF Nikkor 28mm F2.8D

 水窪第6橋りょうを回りこむ豊橋ゆきの313系4連.(2013年5月18日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 城西〜向市場間は営業キロでは2.8キロしかないが,見どころは非常に多い.前掲の「渡らずの橋りょう」こと水窪第6橋りょうの北(向市場方)にある第1久頭合(くずごう)トンネルは,供用開始(1955年)後にトンネル変状を起こし,南側(城西方)から別のトンネルを掘削して旧第1久頭合トンネルに合流させるという工事を行っている.

 写真奥が城西方で,撮影立ち位置は旧線上になる.奥のトンネルは長石トンネル,左の坑口部に落石覆の付いたものが第1久頭合トンネルの城西方坑口.撮影当日はこれら両トンネル間の上部山腹斜面の立木を伐り,斜面崩壊を防ぐ工事が行われていた.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 旧線上から城西方を見た構図.新たに掘られた「第1久頭合トンネル」は写真立ち位置左側(東側)の山体内に施工されている.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 旧線跡を辿ると,旧第1久頭合トンネルの城西方坑口が現れる.前掲及び前々掲写真は城西方を見た構図だが,この写真は向市場方を見た構図になる.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 旧第1久頭合トンネル坑口は鉄製の扉が設置され,施錠されている.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 トンネル坑口部の左側にガイシが残っていた.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2000年1月10日 Nikon FM10 FUJICHROME RA

 2000年に探索した際の旧第1久頭合トンネル坑口部.2014年と同じ扉だが,上部に排気口があり,扉はかなり汚れていた.また,看板が設置されており,「一般廃棄物の最終処分場/施設名称 佐久間町久頭合最終処分場/一般廃棄物の種類 焼却灰/埋立処分の期間 平成 年 月〜平成 年 月/管理者名 佐久間町長 小原侃之輔/連絡先 佐久間町役場住民課(以下電話番号)」とあった.埋立処分期間の年,月欄はいずれも空欄だった.当時は電力メーターが坑口左側に2つ設置されていた.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 上掲の旧第1久頭合トンネルの坑口部は実際には落石覆いの坑口であり,坑口奥の左側(西側)にはコンクリート壁が続いている.元々側面の一部は明かりが入るように開口部分があったようだが,最終処分場とするに当たり,開口部もコンクリートで塞いだらしい.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前掲の落石覆いのさらに北側(向市場方)には廃レールを利用した落石覆いが続いていた.写真の「工」が入った杭は鉄道敷地を表す境界杭.(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前掲の廃レール利用の落石覆いの北側に旧第1久頭合トンネルそのものの坑口が見えた.なお,資料によると旧第1久頭合トンネルから現在の第1久頭合トンネル(城西方に新設)へ線路変更したのは1977年2月23日.(資料は宮脇俊三(編),2001「鉄道廃線跡を歩く VIII.全国線路変更区間一覧・8」JTBキャンブックス)(2014年4月19日記述)



飯田線 向市場駅〜城西駅 2014年2月19日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 旧第1久頭合トンネル城西方坑口.入口部分は上部2mほどを残してコンクリート壁が築かれており,トンネル内部にかけても廃棄物処分場として埋め戻したようである.(2014年4月19日記述)



ページの先頭へ戻る


アビエスリサーチ トップへ戻る

inserted by FC2 system