1970年代〜1980年ころまで作者が津田沼駅の近くに住んでいたこともあり,今でも非常に思い入れの深い駅の一つになっている.自動券売機の位置は恐らく1980年頃からほとんど変わっていないものと思われるが,当時はもっと薄暗かった気がする.親がお金を投入し,運賃ボタンが光ったところを適当に押したところ,行先とまったく異なる額のボタンを押してひどく叱られた思い出などがある.
Suicaが普及した現在もずらりと並んだ自動券売機を見ると,当駅の利用者数が多いことを思い知らされる.(2010年1月27日記述)
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