中央本線の小野〜塩尻間は営業キロで9.9キロ(1982年以降,同年5月に塩尻駅の位置が変わったため,それまでは9.4キロ)も離れており,しかも単線だったことから行違いの設備の必要があったらしい.そのため,両駅の中間に信号場が設けられたが,勾配の多い周辺地形や石灰石採掘の積み出しの関係からスイッチバック構造とされた.
東塩尻信号場には簡素で短い旅客ホームも設置され,一部の普通列車は客扱いも行うようになり,時刻表には「(臨)東塩尻」として発車時刻も記載されていましたが,1983年7月に岡谷〜塩尻間を短絡する塩嶺トンネルが開通したことにより,いわゆる「辰野線」を通る列車が大幅に減少したことから信号場としての機能も含め,駅としても廃止されました.但し,当信号場から徒歩10分程度の距離の新線(塩嶺トンネルの塩尻方出口付近)に「みどり湖」駅が開業し,当信号場の代替駅とされ,今日に至っています.
作者は「東塩尻信号場跡には旧ホームや駅名標の枠が残っている」「夏は猛烈な藪だから,冬季に訪れたほうがいい」といった情報を元に,2008年3月に探索を行ったので,その時の写真をご紹介します.
上の写真はスイッチバック時代の分岐線が分かれていた辺り.写真奥が塩尻方になります.左手前に続く線路は恐らくスイッチバック廃止後に敷設されたものと思われますが,このレールの先(写真の撮影位置から見ると左手前側)に旧旅客ホームがあり,旅客ホームのない突っ込み線(上り列車の助走線)は写真右奥の方向になります.写真中央から右側にかけての手すりのある土留めの上部にもかつては突っ込み線がありましたが,これは石灰石運搬の貨物扱いをしていた際に使われていた突っ込み線のようです.(2010年3月16日記述)
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