TOP更新情報カテゴリ路線別列車別鉄道サウンド撮影機材リンク集岩手県の魅力当サイトについて撮影機材

東柏崎 越後線

(2008年5月11日作成,2009年12月25日最終更新)

JR線 越後線へ戻る


越後線 東柏崎 2001年2月24日 NikonFM10 RDPII・フジクロームプロビア100

 柏崎の次駅が東柏崎だが,元は比角(ひすみ)という駅だったのを1969年に改称している.相対式ホームの駅だったが,撮影当時から右側のホームはまったく使用使用していなかった(信号機は点灯していた).
 駅舎は西側,つまり写真の左側にあり,右側(東側)のプラットホームとは繋がっていなかったが,かつては写真で左側ホームの側面部分が白っぽく写っている箇所に旅客が線路横断するための階段が切り込んであり,右側ホーム奥の色が白っぽく写っている箇所に向かって通路が切ってあったらしい.
 しかし,かなり以前(両ホームが日常的に使われていた時期)から駅の東西を繋ぐ跨線橋(自由通路の歩道橋)が架けられており,写真の手前側に雪の積もっていない帯が見えるのはその通路の真下に当たるためである.
 写真は115系2連編成の上り列車が1番線ホームに進入.



越後線 東柏崎 1620M 2001年2月24日 OlympusCAMEDIA D-860L

 ホームはかなりカーブしており,115系客用扉との段差がある.電化されてもホームの嵩上げは行われていないらしい.



越後線 東柏崎 2001年2月24日 OlympusCAMEDIA D-860L

 海側に建つ駅舎内部.待合室部分はかなり広く,同じ越後線の寺泊駅と同程度の規模を有する.委託も解除されて出札窓口は掲示板で塞がれ,乗車駅証明書発券機が設置されている.



越後線 東柏崎 2001年2月24日 OlympusCAMEDIA D-860L

 海側の1番線から吉田方向を見たところ.跨線橋は駅構内の通路ではなく,構外同士を結ぶ歩行者用自由通路となっている.出発信号機については両ホームの上下いずれの方向にも付いていた.写真には写っていないが,山側の2番線上り出発中継信号が2番線ホームの吉田方に設置されて点灯もしてはいたものの,信号機はわざと横向きにされていた.



越後線 東柏崎 1620Mより 2001年6月8日 OlympusCAMEDIA D-860L

 東柏崎は高校生らの利用が多いが,「高校生ら」と言うより,「ほとんど高校生」と言った方が適切なほど,朝の通学時間帯は一般客皆無と言って良い状況である.写真は8:07発の柏崎行き車内より.



越後線 東柏崎 127M 2002年6月14日 NikonF3 RA・フジクロームSensia100

 柏崎始発吉田経由東三条行きの115系6連.越後線の柏崎〜吉田間は定期列車はすべて115系で運転されており,弥彦線とこの区間はまさに「115系天国」になっている.



越後線 東柏崎 1620M 2002年6月14日 NikonF3 RA・フジクロームSensia100

 東柏崎8:07発・柏崎行きから下車する高校生ら.写真は到着直後の様子で,この後,車内からは大勢の高校生が下車してくる.



越後線 東柏崎 1620M 2002年6月14日 NikonF3 RA・フジクロームSensia100

 東柏崎ホームはかなりカーブしているため,車掌が戸閉めの際の安全確認用にモニターテレビが設置されている.写真は前述の8:07発上り列車到着後の様子.大勢の下車シーンがモニターに映し出されている.



越後線 東柏崎 2002年6月14日 NikonF3 RA・フジクロームSensia100

 8:07発の上り列車から下車した通学生らが駅前通りを歩いて高校に向かうところ.東柏崎の駅舎は海側,すなわち西側を向いている.



越後線 東柏崎 127M 2002年6月14日 NikonF3 RA・フジクロームSensia100

 東柏崎1番線から内陸側(東側)を見たところ.駅舎を通り,左の駅を跨ぐ歩道橋を渡った高校生らが通学している情景が見えているが,駅の東側には県立柏崎常盤高等学校があるため,恐らくそこに通う生徒らであろう.手前のホームは2番線で,前述のように使われていない.



越後線 東柏崎 2008年7月17日 NikonCoolpix2500

 東柏崎駅前より.立派な駅舎だが,完全無人駅である.右に見えている跨線橋が駅の南側(県立柏崎常盤高校方面)へ行ける階段.(2009年12月25日記述)



越後線 東柏崎 2008年7月17日 NikonCoolpix2500

 駅前の交番は「比角交番」と言い,東柏崎駅のかつての駅名だった「比角」の名前は交番に残っている.(2009年12月25日記述)



越後線 東柏崎 2008年7月17日 NikonCoolpix2500

 恐らくだが,山側ホームにあった屋根は,2007年7月に発生した中越沖地震で一部被災したらしく,2008年7月の訪問時にはホーム屋根が撤去されていた.しかし,出発反応標識が取り付けられた屋根支柱は標識と一緒に残されていた.この山側ホームの線路は定期列車はまったく使っていないのだが,場内・出発信号機ともに2008年現在でも生きており,この出発反応標識も継続使用可能となっているらしく,それでこの部分の支柱だけ撤去されずに残っているらしい.(2009年12月25日記述)



越後線 東柏崎 2001年2月24日 OlympusCAMEDIA C-860L

 2番線ホームにも屋根があった2001年当時の写真.写真上部に,黒ビニールで覆われた出発反応標識が写っている.この写真に写っている「ひがしかしわざき」の駅名標は撤去したらしい.当時,屋根からは「名所案内(柏崎温泉)」の看板も残っていた.また,施錠はされていたが,待合室(写真中央)も建っていた.(2009年12月25日記述)



越後線 東柏崎 2008年7月17日 NikonCoolpix2500

 山側ホーム上に立つ,上り出発中継信号機.写真のように,「停止」が現示されていることからも,まだ信号機は生きている.しかし,場内信号機,出発中継信号機,出発信号機すべてが横ないし斜め方向に向けられており,1番線(海側)ホームに入る定期列車の運転士に対して,山側の信号機を確認してしまう「誤認」がないようにセットされている.写真右端の信号機は海側(1番線)ホームの下り出発信号機.(2009年12月25日記述)



越後線 東柏崎 2001年2月24日 OlympusCAMEDIA C-860L (トリミング処理)

 2001年当時の2番線上り出発中継信号機.生きてはいるが,やはり斜め横に曲げられて設置されていた.(2009年12月25日記述)



越後線 東柏崎 2008年7月17日 NikonCoolpix2500

 山側(2番線)ホームから新潟方面を見たところ.本線の右手に線路が分かれている.(2009年12月25日記述)



越後線 東柏崎 2008年7月17日 NikonCoolpix2500

 海側(1番線)ホーム端から新潟方を見たところ.前掲の山側に分かれる突っ込み線へのポイントは乗越分岐器になっており,保線車両等が今でも使っているのかもしれないが,架線は張られていない.(2009年12月25日記述)



ページの先頭へ戻る


アビエスリサーチ トップへ戻る

inserted by FC2 system