TOP更新情報カテゴリ路線別列車別鉄道サウンド切符リンク集岩手県の魅力当サイトについて撮影機材

吉田 2001年 越後線

(2008年4月6日作成,2008年10月31日最終更新)

JR線 越後線 吉田へ戻る


越後線 吉田 2001年2月5日 NikonFM10 RDPII・フジクロームプロビア100

 吉田駅は越後線と弥彦線が十字にクロスする位置にあり,地方交通線同士とは言え,交通の要衝であり,新潟郊外の新発田や東三条に比して駅舎は大きい.かつては新潟運転所吉田支区も併設されていたため(標記は「新ヨシ」だったらしい),駅舎が立派なのかもしれない.



越後線 吉田 2001年2月5日 NikonFM10 RDPII・フジクロームプロビア100

 朝7時過ぎ.通勤,通学の利用客を駅まで送る車がひっきりなしにやってくる.駅舎も駅前も標準軌化される以前の新庄駅を少し小さくしたような規模と言える.



越後線 吉田 2001年1月22日 OlympusCAMEDIA C-360L

 吉田駅にはホームが3面ある.1番線は駅舎と1線,2-3番線は島式,4番線も島式だが,撮影当時の2001年は駅舎から遠い5番線に相当する部分は留置線となっており,旅客の乗降には使われていないため,「5番線」は名乗っていなかった.ところが,2005年12月から5番線からも列車の発着が出現し,「5番線」を新たに標記追加することになった.
 特に列車本数が増加したわけでもないのに,発着番線を増加することは現在では極めて稀な事例であるが,恐らく留置車両を他の番線に転線してから客扱いするよりも,留置していた車両をその線から直接発着させる方が効率がいい,ということだと思われる.実際,5番線の旅客使用開始時期は弥彦線吉田〜弥彦間のスタフ閉塞を廃止した時期と重なることから,信号機の整備と共に5番線からの旅客発着も併せて工事したものと思われる.
 ところで,写真のように跨線橋の床面にはしつこいほどに通行方向を整理する矢印が描かれ,天井からは道路標識のサインを流用した通行方向を整理する札が下がっているわけだが,これは特に朝7時40分頃一斉に展開する柏崎,東三条,新潟,弥彦の各方面からめいめいの方向へ乗換をする旅客の流動を整理するためのものであり,この時間帯の列車発着&乗換風景は,地方都市の朝の通勤・通学風景の縮図のような活気が展開する極めて興味深い鉄道風景である.



越後線 吉田 2001年2月5日 OlympusCAMEDIA C-360L

 吉田からは新潟,東三条,柏崎,弥彦の4方向へ列車が行き交い,それぞれの乗場も一定していないことから乗換客はどの番線に回ったらいいのか分かりにくいのだが,かつて跨線橋内には各番線からの列車案内が掲示してあるでもなく,行先が案内される電光掲示も1番線側に1箇所のみ,それもその時刻から直近の2列車分しか掲示されておらず,かなり不親切な設備だった.
 例えばこの写真を撮影したのは7:05頃だが,直近の「2列車」は掲出の7:17発弥彦行きと7:18発新潟行き,ということになるが,柏崎方面の7:42発寺泊行きや7:44発東三条行きに乗り換えたい旅客にとって,跨線橋内で発車番線を確認できる情報は何もないことになる.
 しかし,約1年後の2002年3月に訪問した際にはこの電光掲示板は撤去され,跨線橋内にも新潟方面・弥彦方面・柏崎方面・東三条方面の4方向すべての乗り換え案内が表示される電光掲示板が設置された.



越後線 吉田 2001年2月5日 OlympusCAMEDIA C-360L

 一方,改札を入ってすぐの1番線頭上には4方向すべての発時刻,番線が2列車分まで掲示されていた.それにしても各方面への発車番線は本当にバラバラである.



越後線 吉田 2001年2月5日 OlympusCAMEDIA C-360L

 自動改札機が未導入のころの吉田駅改札口.当日は架線に大量の霜が降りたため,吉田駅3番線から7:17に発車するはずの弥彦行き(115系500番台2連)がパンタグラフトラブルで発車できず,駅事務室はバス代行輸送等の対応でてんやわんやだった.そのため,改札は弥彦線末端区間のスタフ扱いやホームの監視をする運転扱いの職員が対応,ヘルメットを被ってきっぷに鋏を入れる珍しいシーンが展開した.



越後線 吉田 2001年2月5日 OlympusCAMEDIA C-360L

 朝7:40頃の跨線橋内.1番線側は改札口があるため,背中を見せている人のほとんどは吉田駅改札から2〜4番線へ向かう人の流れ,その逆は2番線に到着したばかりの新潟始発吉田終着(7:42着)の122Mから吉田駅で下車する人の流れで,跨線橋内の歩行者方向を整理した区画がきちんと機能している.



越後線 吉田 2001年2月5日 OlympusCAMEDIA C-360L

 4番線に東三条始発寺泊行き222M(吉田〜寺泊は126Mに列車番号変更)が到着(7:42).吉田駅で新潟方面へ乗換(弥彦方面へ乗換える客はほとんどいない),または吉田駅で下車する客が跨線橋内に溢れる.逆に4番線から寺泊方面へ向かう客(4番線から前述の126Mが7:46に発車)は狭い跨線橋内の壁際を歩いて進んでいるのが見える.



越後線 吉田 225M(左)・261M(右) 2001年1月22日 OlympusCAMEDIA C-360L

 吉田駅3番,4番線に並ぶ115系500番台同士.主に弥彦線に運用されるためか,Y編成を名乗る.



越後線 吉田 227M(左)・129M(右) 2001年3月7日 OlympusCAMEDIA C-360L

 朝の2-3番線の様子.右の黄色い115系はJEFユナイテッドカラーのN31編成.前掲のY編成と塗色が似ている.

 当時は新潟地区であっても「アルビレックス新潟」ではなく,JR東日本が協力企業となっているJEFユナイテッドをアピールしていた.



越後線 吉田 2001年1月22日 OlympusCAMEDIA C-360L 3枚の写真を貼り合わせ

 2001年1月当時の各番線発車時刻表.文字情報が潰れてしまわないよう,多少大きめの画像サイズで登載した.各番線からありとあらゆる方向へと発車していくため,事情を知らない旅客は乗換時等に多いに迷うことになる.一応,4番線から新潟方面息は発車しない.なお,1〜4番線すべてからスタフ閉塞となる弥彦方面への発車があることに注目いただきたい.



越後線 吉田 263M 2001年1月22日 NikonFM10 AiNikkor85mmF2S トリミング処理 RDPII・フジクロームプロビア100

 前掲の写真で,1〜4番線までスタフ閉塞となる弥彦への発車がある,と書いたが,通票を用いない区間から,これらを用いる区間に入る箇所には,「通票携帯標」(白地の正方形を45度回転させた中に「票」と書いてある札)を掲げることとなっていることから,吉田駅の弥彦方面出発信号機には1〜4番線それぞれの計4箇所に「票」が掲げられていた.
 写真は弥彦始発吉田行きのワンマン列車が1番線に進入するところだが,吉田駅の1〜4番線すべての上り出発信号機が写しこんである.
 弥彦方面から吉田駅への線路は一旦越後線と合流するため,吉田駅の上り出発信号は左上部の越後線用と,右下部の弥彦線用が同一柱内に設置され,通票携帯標はその弥彦線用出発信号の下部に取り付けられていた.右から2番目の1〜2番線中間に位置する留置線用の上り出発信号機に「票」がないのは,この留置線から弥彦線へは発車できないためであろう.なお,弥彦線は東三条から弥彦に向かう方向が「上り」とされているが,これは吉田駅において越後線の上り方向と,また,東三条駅において信越本線の上り方向と揃えるためと思われる.



越後線 吉田 2001年1月22日 OlympusCAMEDIA C-360L

 車内のガラス越しに撮っており,画質も大変に悪いのだが,「5番線」に留置中に115系.「5番線」は旅客の乗降ホームとしての構造は成していたが,ここから発着する列車は当時なかった.しかし,2006年11月頃からこの5番線は旅客ホームとして共用開始している.
 撮影当時,4番線には黄色い視覚障害者誘導ブロックが設置されているが,5番線にはそれがない.



ページの先頭へ戻る


アビエスリサーチ トップへ戻る

inserted by FC2 system