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侍浜駅 八戸線

(2008年2月11日作成,2012年8月28日最終更新)

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八戸線 侍浜駅 424D 2001年5月2日 Olympus CAMEDIA C-860L

 侍浜の朝一番上り列車は5:45の八戸行き.侍浜は2004年10月まで交換可能な駅だった.しかし,夜間から早朝の時間帯は久慈〜陸中八木間を1つの閉塞にまとめる併合閉塞の時間帯だったため,朝一番の上り424Dは1番線(通常時の下り線)に入った.
 ホームが微妙にカーブしているため,1番線ホームに下り出発中継信号機があったが,併合閉塞中のため中継信号機の機能は停止させた状態で点灯していない.(2008年2月11日記述)


八戸線 侍浜駅 2004年10月10日 Nikon Coolpix 2500

 改札口の頭上に掲示されていた発車時刻と番線案内.上り列車のうち,朝一番の5:44発と最終20:30発が1番線から発車になっているのは久慈〜陸中八木間で併合閉塞を行っていたためである.併合閉塞作業は18:26発八戸行きが発車し,その列車が陸中八木駅を出発した直後から行われた.そのまま日をまたいで併合閉塞となって翌朝5:44発八戸行きが同様に陸中八木を出発した直後から併合閉塞の解除作業が行われていた.しかし,このような運転扱いはこの年(2004年)の10月15日までで,その後は1番線側のみを使用した棒線駅となり,久慈〜陸中八木間は通年1閉塞区間になってしまった.(2008年2月11日記述)


八戸線 侍浜駅 2004年10月10日 Nikon Coolpix 2500

 かなりの雨が降っており,画像が不鮮明だが,夜間の併合閉塞中の信号テコの状態である.合わせて5本のテコがあるのだが,左から上出,下場,併合テコ,下出,上場となる.併合閉塞中は1番線,つまり下り線側を使うため,下場,下出は進行を現示する位置になる.併合閉塞テコはこれを倒すと信号機の点灯装置が消灯して代わりに信号機不使用を知らせる×印の表示が点灯する.夜間は宿直駅員も居らず,無人となるためテコには施錠され動かせないようにしてあった.(2008年2月11日記述)


八戸線 侍浜駅 2004年10月11日 (2枚の写真を左右に並べたもの) Nikon Coolpix 2500

 侍浜駅営業の一日が始まる.ブラインドが閉まっていた出札窓口に朝刊が配達された(左).もちろん,「岩手日報」である.そして朝6時10分頃にはブラインドを上げて営業開始となる(右).
 出札窓口から見える事務室のテレビではこの2004年から採用されたプロ野球パ・リーグプレーオフ第2ステージ第4戦の結果(前夜の試合)をやっていた.第4戦,ダイエーホークスが西武ライオンズを4対1で下し,日本シリーズ出場にいわゆる逆王手をかけていた.しかし,ダイエーはこの日(10月11日)の最終第5戦を落とし,日本シリーズ進出を逃す.その後,ダイエーホークスはソフトバンクに身売りした.侍浜駅はというと,この日から5日後には交換設備廃止で完全無人化,さらに2007年暮にこの駅舎を取り壊すという歴史を辿るのだ.(2008年2月11日記述,2012年8月28日加筆修正)


八戸線 侍浜駅 2004年10月11日 5:47頃 Nikon Coolpix 2500

 併合テコの解錠と,テコを定位に戻す作業がはじまるところ.(2008年2月11日記述)


八戸線 侍浜駅 2004年10月11日 5:49頃 Nikon Coolpix 2500

 久慈方のスプリングポイントを反位から定位に手動で戻すため,駅員がポイントまで行くところ.併合テコを「定位」にした後なので,信号機や発条機が点灯している.
 侍浜は「浜」という字がつくものの,海からは相当離れた山の中に駅があり,冬季の積雪もかなりあるのだろう.そのため,信号機に連動するワイヤは地面から高い位置に引き回してあった.(2008年2月11日記述)


八戸線 侍浜駅 2004年10月11日 Nikon Coolpix 2500

 侍浜1番線ホームから陸中八木方を望む.左の2番線(上り)出発信号機の中位にある四角枠の「×」が併合閉塞時に黄色で点灯する.樹木が遮って分かりにくいが,右手の少し高い位置に下り場内信号機が写っている.(2008年2月11日記述)


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