1922D(平日は日詰行き・盛岡〜日詰は2556D,土休日は盛岡止まり)の荒屋新町駅発車は6:03.編成両数は日詰行きとなる平日が5両,土休日は原則3両編成だった.荒屋新町駅の発車時刻6:03前後は,奇しくも山田線の5両編成,631Dがちょうど宮古方の回送だった3両分を川内駅で切り離している頃に相当する.当時,岩手県内の「朝6時頃」は,花輪線荒屋新町駅で5両編成,つまりディーゼルエンジン10基がアイドリングを,山田線川内で5両編成が分離を行っていたという,とんでもなく濃密な時間帯だったのだ.
この写真の撮影当時はかろうじて荒屋新町駅の腕木式信号機が健在だったが,確か3月のダイヤ改正時に色灯式信号機に切替えたはずである(1999年中には切替えていた).朝5時過ぎに駅に到着した際には1922Dは2番線でアイドリングしていたが,当時は荒屋新町駅に駐泊していたはずで,恐らく駐泊地点も2番線のこの位置だったものと思われる.後に1922Dの運用は当日の早朝に盛岡から荒屋新町駅までの長駆回送になったり,鹿角花輪での駐泊に切り替わったりしたようであるが,その時期を含めて詳細は分からない.
手前の柵のようなものは腕木式信号機を切替えるテコと信号機同士を連絡,連動させるワイヤーで,積雪地対策としてワイヤーが地中(側溝)ではなく,地上の高い位置に設置してあった.
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