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荒屋新町駅 花輪線

(2008年2月8日作成,2008年11月21日最終更新)

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花輪線 荒屋新町駅 1922D 1999年3月3日 NikonF3 Ai Micro Nikkor 105mm f2.8S FL-Wフィルタ使用 30sec. f16 KL・コダクローム200

  1922D(平日は日詰行き・盛岡〜日詰は2556D,土休日は盛岡止まり)の荒屋新町駅発車は6:03.編成両数は日詰行きとなる平日が5両,土休日は原則3両編成だった.荒屋新町駅の発車時刻6:03前後は,奇しくも山田線の5両編成,631Dがちょうど宮古方の回送だった3両分を川内駅で切り離している頃に相当する.当時,岩手県内の「朝6時頃」は,花輪線荒屋新町駅で5両編成,つまりディーゼルエンジン10基がアイドリングを,山田線川内で5両編成が分離を行っていたという,とんでもなく濃密な時間帯だったのだ.
 この写真の撮影当時はかろうじて荒屋新町駅の腕木式信号機が健在だったが,確か3月のダイヤ改正時に色灯式信号機に切替えたはずである(1999年中には切替えていた).朝5時過ぎに駅に到着した際には1922Dは2番線でアイドリングしていたが,当時は荒屋新町駅に駐泊していたはずで,恐らく駐泊地点も2番線のこの位置だったものと思われる.後に1922Dの運用は当日の早朝に盛岡から荒屋新町駅までの長駆回送になったり,鹿角花輪での駐泊に切り替わったりしたようであるが,その時期を含めて詳細は分からない.
 手前の柵のようなものは腕木式信号機を切替えるテコと信号機同士を連絡,連動させるワイヤーで,積雪地対策としてワイヤーが地中(側溝)ではなく,地上の高い位置に設置してあった.



花輪線 荒屋新町駅 1922D 1999年3月3日 NikonF3 Ai Nikkor 50mm f1.4S KL・コダクローム200

 1番線ホームから見た1922D.編成はキハ58-52-52-58-52の5両.放射冷却で激しく冷え込む快晴の朝だった.



花輪線 荒屋新町駅 1922D 1999年3月3日 NikonF3 Ai Nikkor 50mm f1.4S KL・コダクローム200

 荒屋新町駅2番線のホーム長はちょうど5両分.右の腕木式信号機は3番線の大館方出発信号である.1番線の出発信号も編成の右奥に見えている.



花輪線 荒屋新町駅 1922D 1999年3月3日 NikonF3 Ai Nikkor 50mm f1.4S KL・コダクローム200

 1922Dは盛岡から列車番号を2556Dと変えて日詰まで行く.日詰2番線に到着した後,2555Dとして盛岡まで戻ってくるため,平日は写真のようなサボが使われていた.



花輪線 荒屋新町駅 回9915レ 2001年1月27日 NikonFM10 Ai Micro Nikkor 105mm f2.8S フジクローム

 臨時急行「ホワイトスノー安比・盛岡」は1,2月の毎週末金曜日に運転され,終点・安比高原に7:41に到着した後,荒屋新町駅まで回送され,荒屋新町駅で機回しが行われていた.盛岡以北を担当する機関車はDE10形2両だった.



花輪線 荒屋新町駅 1926D 2001年1月27日 NikonFM10 Ai Micro Nikkor 105mm f2.8S フジクローム

 回送の「ホワイトスノー安比・盛岡」は1番線に入り,2番線には8:25発盛岡行き1926Dが到着.



花輪線 荒屋新町駅 1926D(左) 1927D(右) 2001年1月27日 NikonFM10 Ai Micro Nikkor 105mm f2.8S フジクローム

 続いて3番線に大館行き1927Dが到着,本来なら1番線到着だが3番線に変更されている.1926D,1927Dともに8:25の発車である.



花輪線 荒屋新町駅 回9915レ 2001年1月27日 NikonFM10 Ai Micro Nikkor 105mm f2.8S フジクローム

 臨時急行「ホワイトスノー安比・盛岡」のテールサインは本来「臨時」となっているのだが,この日は幕の不調のためか,「出雲」が中途半端に表示されていた.



花輪線 荒屋新町駅 2001年1月27日 NikonFM10 Ai Micro Nikkor 105mm f2.8S フジクローム

 8:25に1926D,1927Dが発車した後,すぐさま「ホワイトスノー安比・盛岡」の機回し作業となった.これの2年前の冬シーズンであれば荒屋新町駅の信号機は腕木式信号機のままだったが,残念ながら色灯化されてしまった.使用機関車は大館方がDE10-1764,盛岡方がDE10-1765で,所属は青森運転所東派出所.



花輪線 荒屋新町駅 1929D 2001年1月27日 NikonFM10 Ai Micro Nikkor 105mm f2.8S フジクローム

 1番線に11:10発1929D大館行きが到着.一つ前の下り列車である1927Dは8:25発だったので,2時間45分も間隔が空いた.



花輪線 荒屋新町駅 2006年1月19日 Nikon Coolpix 2500

 当日,作者は花輪線上り列車の1928Dに乗って盛岡を目指していた.しかし途中,強風のため兄畑付近で制限を受け,しばらくの停車と徐行運転を行った影響で列車が遅れてしまった.所定のダイヤでは下り列車の1929Dとは松尾八幡平駅にて10:41に行き違いを行うのだが,下り列車に対して遅れの影響を与えないために,ここ荒屋新町駅での行き違いに変更された.

 これが凶と出た,と思う.写真は天候自体はそれほど悪くないものの,地吹雪状態となった荒屋新町駅.盛岡方面を見たところだが,前述のように下り1929Dと行き違いとなるため,2番線(写真中央)の出発信号が赤になっている.下り列車は11:06頃に荒屋新町駅に到着するはずだが,待てどもまったく来ない.しばらくして情報が入り,車内に流れた放送によると,「行き違いをする下り列車が安比高原駅を発車した後のトンネル内で『つらら』に激突した影響で前面窓ガラスが破損したため,運転を見合わせている」というのだ.

 もしも,だが,所定どおり松尾八幡平駅での行き違いで,作者が乗車していた1928Dがそのまま荒屋新町駅を発車した場合,やはり赤坂田〜安比高原間のトンネルで「つらら」に激突してガラスが破損したのだろうか.ひょっとすると走行方向も違って,つららが折れただけで何事もなく通過できたかもしれないし,やはりガラスが破損したかもしれない.



花輪線 荒屋新町駅 2006年1月19日 Nikon Coolpix 2500

 11:32頃,所定より24分ほど遅れて荒屋新町駅1番線に入る下り1929D.安比高原〜赤坂田間のトンネル内でつららに激突した傷跡は運転助士席側の窓ガラスに入っていた.翌日の「岩手日報」紙によると,竜ヶ森トンネル(龍ヶ森トンネル,ではなく,竜ヶ森トネル,と表記)内で氷塊に激突し,トンネルを出たところで急停車,運転席窓ガラスに最大で70cmのひびが7本入ったという.応急処置により運転を再開して,荒屋新町駅までやってきたが,下り列車はここで運転を打ち切ってタクシーによる代行輸送に切り替えたらしい.さらに上り列車1本が運休したそうである.

 作者の乗っていた上り1928Dは約1時間25分遅れの11:40頃に荒屋新町駅を発車した.



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