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大更 花輪線

(2007年12月20日作成,2008年10月27日最終更新)

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花輪線 大更 1927D(左)・1924D(右) 1996年9月10日 NikonF3 AiNikkor35mmf1.4S EPR・エクタクローム64

 大更は列車交換可能な駅で,上りホームへは写真のように線路横断をして渡っていく.写真左側が下り大館行きの1927D,右側が上り盛岡行きの1924D.撮影当時はタブレットに腕木式信号も健在の時代で,信号機こそ写っていないものの,駅舎右手の信号切替梃のところで駅員がちょうど信号を切替えているのが写っている.
 大更の下り本線場内信号機には腕木式通過信号機を備えていたという(出典・宮脇俊三・原田勝正編「国鉄全線各駅停車(3)奥羽・羽越400駅」,小学館,1984.).私は大更腕木式信号機写真をまったく残していないので議論する余地があまりないのだが,岡野磨嵯郎監修「写真集 鉄道 今・昔」,熊谷印刷出版部,1989.の13ページを見ると,12系客車改造「ふれあいみちのく」使用の臨時列車が大更の「上り線」のタブレットキャッチャー(旅客用線路横断通路付近に撮影当時はそれがあった)脇を通過する写真が載っており,その解説に「大更駅通過列車のタブレット受け取り」とある.解説が長くなるが,つまり上り線も通過可能であったらしいのだ.但し,場内通過信号機がなくとも,例えば上りホームの平館方で駅員が「通過しても良い」という緑色の旗を掲げれば通過はできるので,何も「場内通過腕木式信号機」はなくともいいとは思うのだが,わざわざタブレットを差し入れる授受器まで備わっているのに,場内通過信号がない,というのも奇妙な気がして,今になってみると気になって仕方がない.


花輪線 大更 1927D(左)・1924D(右) 1998年2月12日 NikomatFS AiMicroNikkor200mmf4S 1/250s F4+ KL・コダクローム200

 1998年頃から花輪線の一部の駅で信号機の色灯化が行われていった.この写真では上り出発信号機が右側に立っているのが写っているが,腕木式は撤去されて色灯式になっているのが分かる.ちょうど花輪線保安設備の過渡期で,タブレット扱いをやめた区間がところどころに発生しだした頃だが,撮影当時の大更ではまだタブレットの授受を行っており,写真右手の1924Dにタブレットを手渡す駅員の姿が見える.


花輪線 大更 1996年9月10日 NikonF3 AiNikkor35mmf1.4S EPR・エクタクローム64

 朝一番の上り列車,1922Dは当時大更7:01発だったと思ったが,盛岡方面への通学客で大変に活気があり,花輪線からキハ58,52が撤退する2007年3月まで,少なくとも「平日」は5両の編成だった.写真は編成の後方から写したもので,大更駅2番線のホーム長は5両分以上あるものの,他の花輪線内停車駅の一部がホーム長4両分のため,それに揃えて最後部の5両目はドア扱いをしていなかった.そのため,4両目までの各ドアに通学客らがいっぱいになって乗っていった.
 撮影月日の「9月10日」を見て勘のいい方は分かるかと思うが,夏季の青春18きっぷは有効期限が9月10日で,最後の1回分が余って乗りに行った時の1枚である.


花輪線 大更 2004年12月9日 NikonCoolpix2500

 まだ朝日が廻らない駅舎.2004年頃から岩手県内の木造駅舎が次々と消滅していったが,大更のような直営駅については2008年現在も引き続いて存置されている.


花輪線 大更 2004年12月9日 NikonCoolpix2500

 駅舎内待合室から見た岩手山.焼け走り溶岩流にべっとりと雪が付いている.


花輪線 大更 1922D 2004年12月9日 NikonNewFM2 AiNikkor35mmf1.4S RAIII・フジクロームセンシアIII100

 1922D(大更発6:58)の乗車風景を2番線ホーム盛岡方より撮った1枚.旧3番線の線路跡も通路として利用されており,因美線郡家駅の朝の通勤通学列車風景とも共通点が感じられた.


花輪線 大更 1927D(中央奥は1924D) 2004年12月9日 NikonF3 AiNikkor35mmf1.4S RAIII・フジクロームセンシアIII100

 大更駅の2番線で乗客が待っているのは朝「二番目」の上り列車,1924D(盛岡行き)で,大更7:35発〜盛岡8:17着の列車.この列車だと盛岡市街の高校へ通学するには遅い列車になってしまう.そのため,この列車の利用者は通勤客と短大や予備校等に通う人が多いようで,制服ではなく私服の乗客が目立って多くなるのが1922Dとの違いである.
 大更駅では1927D(写真左)との列車交換がある.2番線ホームの背面に植えられた木の陰が線路に延びて朝のムード満点のなか,キハ58の未更新車を先頭にしてホームに近付いて来た.


花輪線 大更 1927D車内より 2005年6月20日 NikonNewFM2 AiNikkor35mmf1.4S KR・コダクローム64

 1927D大館行きのキハ58車内から見た大更駅2番線の様子.7:35発の1924Dを待っているところである.前述のように客層は高校生ではなく,短大や予備校生が多い.1つ前の冬の写真と比べると「寒さ」がない分,のんびりと列車を待っているというムードである.


花輪線 大更 1927D車内より1924D 2005年6月20日 NikonNewFM2 AiNikkor35mmf1.4S KR・コダクローム64

 2番線に交換列車の1924Dが入ってきた.先頭車は「白鬼」ことキハ52-154だった.花輪線がキハ58と52で運用されていた2007年3月まではどんな車両が来るのか,趣味的に非常に楽しめたが,キハ110系化されてそのおもしろみは全滅してしまった.


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