(2007年12月8日作成,2008年9月22日最終更新)
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2004年に取り壊されてしまったが,開業時からの立派な木造駅舎がこの駅の魅力のほとんどすべてだったと言っても過言ではないと思う.強烈に寒い朝,まず681Dのキハ52-148が煌々とヘッドライトを輝かせて駅に近付いて来た.
前述の写真と同じ681Dだが,春の撮影だとこれだけ雰囲気が違う.岩手和井内は茂市からちょうど10.0kmにあり,キロポストがホームの向かい側にぽつんと立っている.かつてはこの辺りにもレールがあって,列車交換も可能な相対式ホームの駅だったらしい.ちなみに1984年2月の時刻表を見る限りでは岩手和井内で朝に切り離しを行っていた運用が読めることから,スタフ関係の運転扱い業務を行っていたと思われる.
新雪をかぶった山々を見ながら,まだ薄暗い岩手和井内駅ホームに入る681D.車両はキハ52-151だった.2005年ころから岩手和井内駅前に拡幅した国道を建設する工事がはじまるが,この写真ではその工事前の駅前の様子が伺える.
駅舎正面入口上部に懸けられていた駅名ボード.
駅舎内.とにかく天井が高くて立派な待合室だった.左側がかつての出札窓口,右が手荷物扱いの窓口跡.出札窓口だが,フルオープン時は3箇所も窓口があったらしい.現在の利用者数と列車本数からは3箇所というのは想像できない.
ホームにかかる屋根から大きなつららが下がっていた.ちょうど客用ドアの部分にもつららがあったことから,安全確保のために乗務員が僅か5分の折返し時間の合間につららを落としていた.
682Dが発車する直前の3分間ほどが,この駅のもっとも賑わう時間帯で,本当にほんの数分の間に通学生を送る車が駅前に集合する.犬の散歩をする人もいて,寒さを吹き飛ばす駅前の活気と言いたいが,駅舎待合室の外壁に突き出たストーブ用の煙突はもはやまったく使われておらず,駅舎内はすさまじく寒かった.
キハ52-144車内から見た駅ホームと駅舎.木製の駅名標とホーロー製の駅名板の字体を見ているだけでも楽しい.キハ52客用扉の取っ手が右端に写っている.
岩手和井内の駅前には,かつて「きくち商店」という小さな雑貨屋があり,駅舎とともに伝説級の魅力を放っていた.その小さな佇まいに味のある看板が強烈なインパクトを与えてくれた.
晩秋の朝の「きくち商店」.店内を照らす白熱灯がまるで作り物の映画のセットのようだった.店の右側を見ると屋根の縁をふさいだような構造になっていたので,かつては右側にもう少し長い造りになっていたのかもしれない.写真奥のガードレールの見える道路がこの当時の国道340号線.
2004年か2005年か時期は不明だが,岩手和井内駅舎とともに,ついに「きくち商店」も取り壊されてしまった.店舗があった場所にタンポポが咲き,ひっくり返された椅子と,さらに「ごみ置き場」も出現して虚しさが漂っていた.
かつて駅舎があった場所のすぐ脇に待合室とトイレが建てられ,駅前付近は国道工事の真っ最中だった.
写真中央に駅のホームがあり,線路はちょうどホームの影に隠れて見えない.撮影した場所はかつての駅舎とトイレのすきまで,花が咲いている場所は花壇である.岩手刈屋には規模で及ばないが,岩手和井内駅にも花壇があり,実に手入れが行き届いていた.しかし,駅舎取壊しにより,岩手和井内の魅力も花壇もすべてをブッ壊しにかかっているようだった.
2007年11月現在,新たに駐車場も整備された駅前はアスファルト舗装でピカピカだが,かつて花壇があった場所は雑草がぼうぼうに茂っており,まるで花壇の怨念が雑草に化けたと言わんばかりである.
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