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押角 岩泉線

(2007年12月8日作成,2010年8月27日最終更新)

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岩泉線 押角 1994年10月29日 CanonFTb FD50mmf1.4 RD・フジクローム100

 岩泉行きの列車が岩手和井内を出ると,しばらくは民家も畑もある風景が続くが,やがて谷幅が狭くなって,いつしか民家がほとんどなくなって山林ばかりの車窓になる.トンネルも突如増加して勾配もきつくなり,明らかにそれまでとは異なってくる.押角駅は山の中に忽然と現れる木製片面ホームの駅で,付近に民家はほとんどなく,駅の必要性が別のところにありそうなオーラを放っている.押角の開業は昭和19年7月で,特に太平洋戦争で需要が増大した耐火粘土の積み出し駅としてスタートしたという.駅周辺も非常に勾配がきついため,スイッチバック配線,それもZ形のスイッチバック線形をしていたらしい.山田線の大志田,浅岸もスイッチバック駅だが,かつて駅ホームがなかった側の引き上げ線は,両駅とも「盛り土」をして線路を敷設していたことが現在の遺構から分かるが,押角は用地がなかったため,引き上げ線を設けるのに急峻な山を切って設置したことが現在の遺構から分かった.掘削した法面部分はほとんど崖そのものであり,線路が山にへばりつくようにして敷設してあったに違いない.
 写真を見るとホーム長は2両分もないのに,駅名標が2つも立っている.ホーム奥から右手に分岐する線がかつてスイッチバックだった名残で,旧ホームはこの線路の先に残っている.駅から岩泉方面(写真奥)を見るとかなりの勾配があることが分かるが,いきなり30‰の勾配が現れる.また広いモルタル吹付斜面の左奥に,白いガードレールのようなものが見えるが,ここを国道340号が走っており,岩泉線屈指の有名俯瞰撮影ポイントとなっている.駅周辺は秋になればご覧のように見事な紅葉が見られるが,裏を返せばその落ち葉による車輪の空転が発生しやすい箇所でもある.



岩泉線 押角 2001年5月1日 OlympusCAMEDIA C-860L

 押角駅を岩泉方面から見た写真.2000年頃にホームの木板が張り替えられ,岩泉方の駅名標のみ,JRデザインのものに交換された.スイッチバック時代の引き上げ線(助走線)は線路右側の勾配標の辺りから潅木に覆われている付近に伸びていた.ホームの向かい側も僅かではあるが平坦地があり,かつてこの付近にスイッチバックのポイントが張りめぐらされていたに違いない.手前の錆びた線路は旧ホーム側に向かう線路で,保線車両等の留置線として使われていたものと思われるが,この後このレールは撤去されてしまった.



岩泉線 押角 2001年5月1日 OlympusCAMEDIA C-860L

 ホームの岩手和井内方駅名標.当時からかなりボロボロになっており,この後しばらくするとJRタイプの駅名標に交換された.ホームの下はすぐに刈屋川となり,いかに敷地がないかが分かる.



岩泉線 押角 2001年5月1日 OlympusCAMEDIA C-860L

 写真の線路は旧ホームに向かうもので,すでに使用をやめてから相当の年月が経っているようで,線路上に樹木が生えていた.敷地が広いのはこの付近にも何本か側線があって耐火粘土を積み出した名残だろうか.春先はこのように線路も見えるが,もう少し経つと草が生い茂ってまったく見えなくなってしまう.現在この線路は撤去されたようである.



岩泉線 押角 2001年5月1日 OlympusCAMEDIA C-860L

 スイッチバック時代の旧ホームで,1956年11月竣工を意味すると思われるプレートがみえる.この旧ホームについてはEgamiさんという方の製作web site"I love SwtchBack"の押角の項に詳細がありました.



岩泉線 押角 1994年10月29日 CanonFTb FD50mmf1.4 RD・フジクローム100

 押角で下車し,ホーム岩泉方のスロープを下ると,「道」は旧ホームへの線路上をしばらく歩き,右手(東側)の刈屋川に架かる木橋を渡ることになる.木橋の先に国道340号線が通っているのだが,木橋は片側(上流側)に手摺りが付いているだけの簡素な作りだった.



岩泉線 押角 2007年11月4日 NikonD70 AiAFNikkor28mmf2.8D ISO200設定

 1999年頃だったと思うが,木橋の架け換えが行われ,手摺りが単管利用の鉄製になったものの,相変わらず片側にしか手摺りがない.2002年頃から押角を利用する通学生がおり,2007年現在も利用者が少なくとも2人はいるようだ.かつては通学生も絶え,公称利用者ゼロという年が続いた駅だが,再度生活に必要な駅となった.2007年秋は空転対策のために常にキハ52の2両編成で運用されていたが,11月24日をもってキハ52は完全撤退してしまった.



岩泉線 押角 1998年1月30日 NikonF3 EPR・エクタクローム64

 たまたま知人の車に同乗して押角駅前を通ったので,ちょっと駅でも見ていくかと思い,ホームまで行ったところ,男性一人が三脚を立てて列車を待ち構えていた.こんな真昼間に来る列車はないはずと思って尋ねたところ,「臨時のKenjiが通るのでそれを撮る」と言う.もうすぐ来るというので私もいちおう撮っておこうと特に気乗りせずに撮った写真がこれであるが,今になって見ると,旧塗色のKenjiが今は撤去された旧ホームへ向かう線路付近を通過中という,かなり貴重な1コマになってしまった.当時はこのためだけに撮影に来ていた男性を気の毒にすら思ったが,今であれば3両編成が茂市1番線のどの位置に停車するのか?や,Kenjiとタブレット(スタフ)授受の異色の組合せなども見てみたいと,別の興味が湧いてくる列車である.



岩泉線 押角 1998年9月23日 NikonF3 EPR・エクタクローム64

 国道340号雄鹿渡峠(押角峠)から押角駅に停まるキハ52単行列車を俯瞰.狭隘な谷間に押角駅ホームが見えている.(2009年6月27日記述)



岩泉線 押角 1998年10月30日 NikonFM10 KL・コダクローム200

 晩秋の紅葉に囲まれた押角駅に停まるキハ52.朝靄がほのかに立ち込めている.(2009年6月27日記述)



岩泉線 押角 688D 2007年11月3日 NikonD70 AiAFNikkor28mmF2.8D

 岩泉始発〜宮古行きの最終普通列車,688Dは定刻の19:33に岩泉駅を発車したのだが,浅内からの登り勾配で大空転を起こし,まさにもがきながら押角(雄鹿渡)峠を越えて来て,押角駅には35分遅れての到着となった.

 写真は空転時に撒きまくったすべり止め砂の残量を確認する車掌.当日は空転対策として2両編成となっており,この車両はキハ52-154である.ここから宮古まで下り勾配ばかりだが,発車時等に空転する恐れがあることから,それに対処できる残量があるかどうか確認し,必要であればホームに置いてある砂箱から注ぎ足すことになるのだが,注ぎ足しなく発車した.(2009年2月14日記述)



岩泉線 押角 686D 2007年11月4日 NikonD70 AiAFNikkor28mmF2.8D

 17:50に押角を発車する茂市行きの686D.この日は遅れもなくキハ52×2両が静かな山間の押角駅にやって来た.(2009年2月14日記述)



岩泉線 押角 2009年7月31日 Nikon Coolpix S600

 運賃表上部の「ひさし」部分に蜂の巣(ハチはすでにいなかった)があった(写真左の赤丸囲み部分).(2010年8月27日記述)



岩泉線 押角(2枚の写真を繋ぎ合わせたもの) 2010年2月27日 Nikon D200 AiAF Nikkor28mm F2.8D

 移動する列車内から写真を撮り,それを繋ぎ合わせたもののため,前景や繋ぎ合わせ目がぐちゃぐちゃだが,この画像は現在の押角駅ホームの岩泉駅方約100mほどの位置から東側を見たものである.かつてスイッチバック構造をしていた旧押角駅構内の一部は2010年現在,養魚場として利用されているのだが,この写真の池の奥にある石積みとコンクリートによる土留状のものがホーム跡らしい.右側のスロープ状の構造などにその面影が残る.ただし,ホームのある場所は養魚場(私有地)のため,立ち入りは出来ず,踏査は難しい.(2010年10月3日記述)



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