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大船駅 東海道本線・横須賀線・湘南モノレール江の島線+国鉄大船工場跡地

(2014年7月5日作成,2016年7月16日最終更新)

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湘南モノレール江の島線 大船駅 2014年6月13日 Nikon Coolpix P7700

 懸垂式の湘南モノレールが大船駅へ到着するシーン.路線バスにモノレールが立体的に組み合わさった景観となっている.(2014年7月5日記述)



湘南モノレール江の島線 大船駅 2014年6月13日 Nikon Coolpix P7700

 湘南モノレールは車掌が乗務する.大船駅到着時に後方窓から監視している.(2014年7月5日記述)



大船駅〜大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 大船駅近くにはかつて国鉄大船工場(後のJR東日本大船工場→鎌倉総合車両所→鎌倉双方車両センター)があり,2014年現在でも工場への専用線跡が大部分のレール敷とともに残っていた.写真は専用線と湘南モノレール(大船〜富士見町間)が交叉する付近で,写真奥が大船方(横須賀線の大船〜北鎌倉間)になる.(2015年10月22日記述)



大船駅〜大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 道路との交叉部のほとんどはレールが剥がされ,完全な道路に変わっていた.なお,軌道敷は周囲に柵が設置され,基本的に軌道敷へは立入が出来ないようになっていた.(2015年10月22日記述)



大船駅〜大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 事故防止,あるいは不法投棄や物置等を設置されたり,駐車場代わりに使われたりといったことを避けるためか,前掲のような柵や看板が設置されていた.(2015年10月22日記述)



大船駅〜大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 工場への入出場に都合良いように直流電化されていた.(2015年10月22日記述)



大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 単線だった専用線が工場の敷地へと入ると,かつては扇形に線路が広がっていたことが分かる構図.(2015年10月22日記述)



大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 大船工場の跡地土壌からは鉛などの重金属が多く含まれていたことから,土壌の入換等を行って整備された.(2015年10月22日記述)



大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 大船工場正門跡.架線も何もないが,桁下注意のガードだけは残っていた.(2015年10月22日記述)



大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 広大な大船工場跡地も印象的だったが,背後に立ち並ぶ国鉄(JR)の職員住宅(すべて空き家)が圧巻.(2015年10月22日記述)



大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 大船工場に隣接する国鉄(JR)職員住宅群.工場従業員だけではないと思うが,多くの人員が働いていたことが如実に分かる遺構.5階建てのザ・官舎といった趣の集合住宅が整然と並ぶ.(2015年10月22日記述)



大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 更地にするため,緑地帯の樹木も一切許さないといった姿勢で解体を待つ国鉄職員住宅跡.(2015年10月22日記述)



大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 官舎遺構の敷地内には立ち入ることが出来ないよう,厳重に柵がされていた.危険防止の他,銅線やアルミなど資源持ち去りを防止する目的もあったものと思われる.(2015年10月22日記述)



湘南深沢駅より大船工場 2014年12月15日 Nikon Coolpix P7700

 湘南モノレール湘南深沢駅ホームからも大船工場跡地と隣接する職員住宅群が見えた.(2015年10月22日記述)



東海道本線 大船駅 2016年3月19日 Nikon Coolpix P7800

 相当に古く,書体も国鉄書体に近いものなので,国鉄時代から掲示され続けているものと思われるが,グリーン車の「中間デッキ」という表記は興味深い.国鉄時代の111系列のグリーン車は,デッキ(乗降扉)はすべて車端部に寄った車両構造をしていた.211系でもオリジナルの単層階(平屋)グリーン車はやはりデッキは車端に寄っていたが,2階建て構造となったサロ213・212形からデッキが車端から中央に寄り,「中間デッキ」となったのだ.それでも当初は平屋構造と2階建て構造の混成で組成されており,すべて2階建てになったのはここ10年以内の話であり,案内板の古さと整合性が取れない.(2016年7月16日記述)



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