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鼠ヶ関 羽越本線

(2008年7月24日作成,2008年7月24日最終更新)

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羽越本線 鼠ヶ関 231D 1990年3月26日 CanonFTb FD50mm F1.4 RD・フジクローム100

 鼠ヶ関は新潟県と山形県の県境に位置しているが,駅舎(駅中心)が山形県にあることから,「山形県の駅」になっている.ホームはかなりカーブしており,写真にも下り出発中継信号機が写っている.駅舎は国鉄末期の1986年に木造から現在のコンクリート造りのものに建て替えられている.
 写真のキハ58系2連+キハ22は7:03に吹浦を発ち,9:03に鼠ヶ関に到着した列車で,この2番線で折り返して,9:27発酒田行き231Dになる.2-3番線の島式ホームには,現在は取り壊された待合室が建っているのが写っており,その奥には3番線の上り本線用の出発中継信号機も写っている.また,写真では小さくて分かりずらいが「242D」と書いた停止目標が写っている.これは鼠ヶ関22:28着の最終上り普通列車の停止位置で,この鼠ヶ関2番線で駐泊していた.なお,停泊後の翌朝には鼠ヶ関5:59発酒田行きの225Dとなっていた.



羽越本線 鼠ヶ関 231D 1990年3月26日 CanonFTb FD50mm F1.4 RD・フジクローム100

 前述の231Dを新津方から見たところ.編成に新津方にはキハ22-341が繋がれていたが,痛みはひどかった.この写真でも写りが小さくて分かりずらいが,2-3番線の跨線橋階段を降りた辺りの柱に「851D」の停止目標が写っている.これは鼠ヶ関21:41着の最終下り普通列車の停止位置で,前述の「242D」と同様,この鼠ヶ関2番線で駐泊していた.なお,停泊後の翌朝には鼠ヶ関6:43発新津行きの820Dとなっていた.
 停泊していた位置についてだが,後述するように2002年に確認したものと同様,それぞれの列車がこれらの「停止目標位置」からホームの端の方へ移動した上で停泊していたものと想像される.



羽越本線 鼠ヶ関 820D(左)・223D(右奥) 2002年7月30日 OlympusCAMEDIA C-360L

 前述の1990年当時の820Dに相当するのが写真左のキハ40系を連ねた「820D」,225Dに相当するのが,奥のキハ110系を連ねた「223D」.それぞれ停泊位置における写真であるが,ホームの両端に停車している.
 ちなみに写真は残してこなかったが,1999年4月に訪問した際には,手前の新津行き820Dもキハ110系による運用だったため,すべて駐泊車両はキハ110系だった.



羽越本線 鼠ヶ関 2002年7月30日 OlympusCAMEDIA C-360L

 820Dの駐泊位置は,2番線ホームから新津方にかなりはみ出した位置だった.ちょうど前方(新津方)に2番線の上り出発中継信号機が見えている.このようにホームからはみ出した位置で駐泊するのは,後述するように車輪に手歯止めを設置するためと思われる.このような「はみ出し駐泊」は村上駅等でも確認した.



羽越本線 鼠ヶ関 2002年7月29日 OlympusCAMEDIA C-360L

 前掲写真の前夜における駐泊写真.ホームの端に立って撮影したため,ホームは写っていないが,最終下り列車である851Dの乗務員が車輪に設置した「手歯止め」が写っている.前掲の翌朝の写真ではすでに「手歯止め」は取り外してある.なお,鼠ヶ関終着の最終列車である861D及び242Dの乗務員ら4人(運転士2人,車掌2人)は,鼠ヶ関1番線の駅舎北側にある宿泊施設に泊り込んで,翌朝始発の820D.223Dに乗務する.



羽越本線 鼠ヶ関 2002年7月30日 OlympusCAMEDIA C-360L

 鼠ヶ関朝一始発223Dとなるキハ110系3連.駐泊位置は2番線の秋田方で,820Dと異なり,ホームからはみ出さずに駐泊していた.発車方向と反対側の新津方のヘッドライトが点灯しているのは,この位置からドア扱いをする跨線橋階段出口付近まで移動するためである.
 なぜ,820Dはホームからはみ出して駐泊し,223Dははみ出さないで駐泊するのか?だが,それは「手歯止め」を設置する「位置」に答えがあるらしい.前掲の写真のように,手歯止めは翌朝の当該列車の進行方向運転席下側にある車輪に対して設置するものらしい.そのため,820Dがホームからはみ出さずに駐泊するとなると,手歯止めを設置することができない.しかし223Dの場合,手歯止めの位置は1番線ホーム側となるため,車両と近接する2番線ホームの位置とは無関係に手歯止めが設置できるからである.



羽越本線 鼠ヶ関 223D 2002年7月30日 OlympusCAMEDIA C-360L

 ドア扱い位置まで移動した223D.840Dとくっついてしまいそうな距離まで新津方に移動する.側幕はすでに223Dの行先である「酒田」が表示されている.なお,鼠ヶ関から山形県内(下り方向)に通う高校生の姿は確認しているが,新潟県(上り方向)に通う高校生は少なくとも作者は確認していない.



羽越本線 鼠ヶ関 223D(左)・2002M(右) 2002年7月30日 OlympusCAMEDIA C-360L

 6:27ころ,3番線を上りの特急「いなほ2号」が通過.485系6両編成である.
 ちなみに左の酒田行き820Dの発車は6:41である.



羽越本線 鼠ヶ関 820D(左)・223D(右奥) 2002年7月30日 OlympusCAMEDIA C-360L

 6:41に酒田行きの223Dが発車すると,すぐに820Dが駐泊位置からドア扱い位置まで移動する.写真は移動中のものだが,ヘッドライトもテールライトも点灯しているところにご注目いただきたい.



羽越本線 鼠ヶ関 820D 2002年7月30日 OlympusCAMEDIA C-360L

 6:41の発車時刻まで2番線で待つ820D.当日の編成は新津方より,キハ40-47-47の3両だった.
 以上のように,鼠ヶ関では上り,下りそれぞれの最終普通列車が2番線で駐泊し,翌朝にそれぞれが下り,上りの始発朝一普通列車になる運用を取っているが,このような駐泊は運転台が編成の両側にあるディーゼルカー等だからできる芸当で,機関車が牽引する客車では,プッシュプルのような特殊な形態以外では同一番線に上下それぞれの列車が駐泊することは出来ない.そこで,古い時刻表を取り出して,かつての列車時刻を少し調べてみた.
 1982年11月号では,鼠ヶ関で駐泊していたらしい普通客車列車が2本もある.恐らく,駅の山側(東側)にあった側線に客車を入れて駐泊していたものと思うが,それ以外にやはり最終の上下,朝一の上下始発列車はディーゼルの運用となっていることから,当時から2番線でディーゼルカーの駐泊があったのかもしれない.しかも,最終の上り列車(始発駅は酒田・226D)は山形始発・陸羽西線経由の急行「月山」を余目から併結する運用になっている.
 1973年3月号まで遡ると,朝の下りは鼠ヶ関始発・4:57発で,相当に早い.これは鼠ヶ関4:49発の下り急行「鳥海」の連絡を受けている.最終の鼠ヶ関終着となる下り普通列車はディーゼルだが(843D・21:17鼠ヶ関着),これに連絡する形で鼠ヶ関始発の231D酒田行き(鼠ヶ関21:22発)というのが設定されている.一方,上り列車は鼠ヶ関始発6:35普通列車新潟行き(826D)が朝一の列車で,夜の鼠ヶ関終着列車は客車の842レ・21:29着となっている.この時刻表では鼠ヶ関で駅弁を売っている表示もあり,今の完全無人駅からは想像できないような活気を持っていたものと思われる.



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