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宮古 山田線・三陸鉄道北リアス線

(2007年12月5日作成,2010年10月3日最終更新)

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第3セクター三陸鉄道北リアス線へ戻る


山田線 宮古 1999年1月20日 NikonF3 AiNikkor35mmF1.4 FL-Wフィルタ使用 KL・コダクローム200

 朝一番の621Dとなる5連が極寒の中,アイドリング中だった.当時,621Dとなる5両の駐泊場所は3番線外側の側線ではなく,1番線の釜石方だったようで,盛岡寄り最前部の乗務員扉がちょうどホーム端にかかるように停車しており,乗務員は1番線ホームから車内へ乗務することが可能だった.そのため,この5両は4時45分過ぎになるとそのまま1番線を盛岡方に向かってスライドしてくるだけでドア扱いが可能だったが,この後,いつからかは不明だが3番線の1つ外側の側線で停泊するようになった.こうなると側線から1番線へ転線することになり,朝4:40過ぎから釜石方の踏切が鳴って,一旦釜石方面へ下がってポイントを切換えて1番線に入線というめんどうな手はずを踏むようになった.



山田線 宮古 1999年1月20日 NikonF3 AiNikkor35mmF1.4 FL-Wフィルタ使用 KL・コダクローム200

 1番線の乗車位置まで入ってきた621Dの5両.まだドア扱いはしていないが,いずれにしてもドア扱いするのは盛岡まで行く前2両で,後方3両は川内まで回送,川内で切り落として折返し宮古へ628Dとして還ってくる. この停車位置では5両目の約半分がホームからはみ出していたが,宮古駅1番線は5両が充分に入るホーム長を持っている.



山田線 宮古 2007年10月9日 NikonD70 AiAFNikkor105mmF2.8

 2007年10月時点での631D・5両停泊位置は3番線のすぐ外側の側線で,写真のキハ100・3両の脇になる.朝4:40頃にこの側線から写真奥の釜石方に一旦引き上げ,その後1番線へと転線してくる. キハ58・52を使っていた時には通常5両編成で運転されていたが,キハ110に置き換わってから4両に減車したという.



山田線 宮古 628D 1999年11月29日 NikonFM10 RA・フジクロームSensia100

 621D・5両編成のうち,川内で切り落とした3両の628Dが宮古に戻ってきたところである.このあと盛岡方の2〜3両目,つまり写真手前側のキハ58とキハ52の切離し作業に入った.なお,当時のこの列車の到着ホームは2番線だったが,少なくとも2005年には3番線到着に変わっていた.



山田線 宮古 1995年11月12日 NikonF2fotomic (非Ai)Nikkor50mmF1.4 1/15s f2 RVP・フジクロームベルビア50

 撮影は夕方で,朝にのみ使う「宮古-茂市-岩手和井内」のサボが昼寝していた.サボ立てはキオスク等で新聞を売るフレームの再利用だったが,キハ100と110の牙城となった現在,サボはまったく不要なはずで,このサボ立てもどうなってしまったのだろうか?



山田線 宮古 638D 2006年11月24日 NikonF3 AiNikkor50mmF1.4S KR・コダクローム64

 川内始発宮古行き(7:29着)の638D.1999年の撮影では2番線に入っていたが,この当時は3番線に到着していた.



山田線 宮古 2007年11月4日 NikonD70 AiAFMicroNikkor105mmF2.8D

 宮古駅の側線に結集した盛岡所の気動車.キハ58の脇にいる人は空転対策の砂撒き装置のタンクに砂を詰めているところである.(2009年2月14日記述)



山田線 宮古 2007年11月4日 NikonD70 AiAFMicroNikkor105mmF2.8D

 別角度からのアングル.午後の撮影だが,時間が経つほどに車両正面に日が当たってきた.(2009年2月14日記述)



山田線 宮古 2007年11月5日 NikonD70 AiAFMicroNikkor105mmF2.8D

 この日は砂撒き用のDE10-1109も登場.キハ52も国鉄色と盛岡色(赤鬼)が並び,役者が勢揃いした.(2009年2月14日記述)



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