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喜多灘 予讃線(松山〜宇和島)・内子線

(2008年9月21日作成,2008年11月20日最終更新)

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予讃線 喜多灘 2003年11月10日 NikonCoolpix2500

 手ぶれしたひどい写真だが,喜多灘駅前の様子.軽自動車が停まっている更地にはかつて駅舎が建っていたらしい.ホームは上部にあり,白い手摺りのついた階段を登るとホームが1面ある.



予讃線 喜多灘 2003年11月10日 NikonCoolpix2500

 駅前から少し松山方面へ歩くと,右手に瓦屋根の商店があるが,ここで切符の委託販売を行っていた.喜多灘駅は大洲市長浜町と伊予市双海町との境界に位置しているが,正式な所在地は大洲市側.しかし,切符の委託販売が行われているのは伊予市(旧双海町)側である.



予讃線 喜多灘 2008年11月17日 NikonCoolpixS600

 2008年11月現在の駅前道路.2005年4月の合併で「双海町(ふたみちょう)」は「伊予市」となったが,境界の看板はそのままだった.



予讃線 喜多灘 2003年11月10日 NikonCoolpix2500

 手ブレしているが,商店には「喜多灘駅・四国旅客鉄道乗車券発売所」の看板がある.常備軟券(ただし,金額式片道券はすべて発駅を印で押すタイプ)が入手できた.



予讃線 喜多灘 2008年11月17日 NikonCoolpixS600

 2008年11月,喜多灘を再訪し,常備券を購入しようと商店を訪れたが店を畳んだらしく,ここが元々商店だったことすら分からないほど看板類がすべて取り払われ,白いカーテンが引かれていた.

 喜多灘のこの商店には常備往復乗車券を設備していたことを2008年になってから知り,是非とも入手したいと思い再訪したが,商店のこの姿を見たときは呆然としてしまった.



予讃線 喜多灘 2003年11月10日 NikonCoolpix2500

 かつて駅舎があった駅前から階段を登ってホームに上がると,海が一望できる.手前にある雑草が生えた穴だが,かつてここに信号機等を扱っていたテコがあり,小屋状になっていたものと思われる.駅舎には駅員が常に詰め,毎日ここで信号機を動かして,タブレットを取り扱って急行「うわじま」や特急「しおかぜ」,旧型客車を牽いた普通列車等の往来を見守っていた.
 写真の小学生3人は7:23発の松山行き724Dに乗り,全員下灘で下車して行った.



予讃線 喜多灘 2003年11月10日 NikonCoolpix2500

 これも手ブレしている.あまり言い訳したくないが,この時の旅行時は明らかに栄養不足に陥っていた.
 写真の内容だが,左側の小学生が立っている部分がかつて信号機等のテコがあった部分,ホームはかつては島式の交換可能駅だったため,小学生とホームの間に旧上り線があり,旧下り線側が現在も使用している本線となっている.手前の階段だが,ここにタブレット授器か受器があったものと思われ(恐らく位置関係から下り列車用の授器があったものと思われる),駅周辺はタブレット閉塞時代の遺構が随所に残っている.



予讃線 喜多灘 2003年11月10日 NikonCoolpix2500

 ホーム待合所壁面にあった看板.近距離乗車券については,前述の駅前道路に建つ商店,「金森商店」で購入できることが書いてある.なお,2008年11月訪問時にはこの看板はなくなっていた.



予讃線 喜多灘 2003年11月10日 NikonCoolpix2500

 ホームから山側を見ると,かつての貨物ホームらしき跡も確認できる.木造駅舎,タブレット,腕木式信号機,貨物ホーム,タブレット授受器,といったかつての施設がすべて失われ,完全無人駅になっているものの,前述のように常備券の販売は委託販売の形で残っている.



予讃線 喜多灘 914D 2008年11月17日 NikonCoolpixS600

 喜多灘7:23発の松山行き.2003年訪問時はキハ58+65の2両で運用(当時の列車番号は724D)されていたが,2008年11月には使用車両がキハ47の2連に変わっていた.しかし,小学生らの通学乗車は引き続き見ることができた.2003年と同様,小学生らは2駅先の下灘で下車していった.



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