(2008年5月17日作成,2008年5月17日最終更新)
JR線 境線へ戻る
撮影当時の約100年前,1902年(明治35年)には開業していた歴史のある駅で,かつて駅前は商店もあってかなり栄えていたというが,米子空港の建設,拡張等により集団移転させられ,駅周辺のほとんどの土地は防衛施設庁の管轄となった.写真右下に写っている黄色い杭には「防衛施設」と書いてあり,駅前と道路以外の空き地はほぼ防衛施設庁の土地となっていた.
駅舎の屋根瓦には「JR」の紋が入っていた.木造でかつては運転扱い要員が泊り込んで営業していたようだが,完全無人駅となり,駅前に店も家もなにもないことから,廃墟のような状態だった.
まるで民家のトイレである.トイレの屋根瓦にも「JR」の紋が入っている.
木の部材がかなり残っていた駅舎ホーム側.写真奥が境港方面になる.「指差確認」と書いてある少し飛び出した区画の事務室側に,かつては閉塞関係の機器が置いてあったものと思われる.
信号機(あるいはポイントも)を操作するテコが並べてあったスペースと思われる.テコがあった箇所は白いコンクリートで潰されているが,テコを扱う立ち位置からは「指差確認」の注意喚起看板が正面に見える.手荷物用と思われる「はかり」が無造作に置かれていた.
かつての出札窓口は塞がれていたものの,台座部分は残っていた.窓ガラスもなくなり,殺風景であった.
駅裏側(境港方)から駅舎(米子方)を見たところ.かつては3番線まであったらしい.貨物列車等がこの「3番線」で退避していたのかもしれない.
ホーム端から米子方面を見たところ.右のレールが信号機辺りで不自然な角度で曲がっているのは,かつてここに3番線(写真右側)に向かうポイントとレールがあった名残と思われる.出発信号機は両番線に付いているが,空港に隣接した信号機のため,若干低いものと思われる(かつてはもっと低かったらしい).
大篠津で列車交換待ちのキハ58系とキハ47.通学生らの利用はけっこう多い.
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