TOP更新情報カテゴリ路線別列車別鉄道サウンド撮影機材リンク集岩手県の魅力当サイトについて撮影機材

餘部 山陰本線

(2008年3月8日作成,2009年11月19日最終更新)

JR線 山陰本線 豊岡〜米子へ戻る


山陰本線 餘部 2000年3月3日 NikonF3 AiNikkor50mmF1.4S RA・フジクロームSensia100

 鎧〜餘部間に架かるトレッスル橋.駅名は餘部だが,この橋の名称は「余部橋りょう」というらしい(以下「余部鉄橋」と表記).その姿の美しさや迫力,数々の歴史は説明不要であろう.



山陰本線 餘部 2000年3月3日 NikonF3 AiNikkor50mmF1.4S RA・フジクロームSensia100

 構造美の結晶のような余部鉄橋.2007年から架け替え工事がはじまり,2010年には新たにコンクリート橋りょうに移行することになっている..



山陰本線 鎧〜餘部 175D 2000年3月3日 NikonF3 AiMicroNikkor105mmF2.8S RA・フジクロームSensia100

 写真の左側が鎧方面,橋のすぐ右に餘部駅がある.余部鉄橋の完成が1912年だが,餘部駅の開業は1959年とまだ半世紀も歴史がない.余部鉄橋近くに住む住民にとっては,鉄道も立派な橋もあるのに近くに駅がなかったため,国鉄に請願する形で餘部駅が開業した.



山陰本線 餘部〜鎧 174D 2000年3月3日 NikonF3 AiNikkor50mmF1.4S RA・フジクロームSensia100

 普通客車列車や気動車急行も通らなくなり,短いワンマン運転の列車がほとんどを占めるようになってしまったが,橋を渡る鉄道情景のすばらしさは健在である.



山陰本線 鎧〜餘部 177D 2000年3月3日 NikonF3 AiMicroNikkor105mmF2.8S RA・フジクロームSensia100

 下り列車は鎧からいくつかのトンネルをくぐり抜け,最後に余部鉄橋を渡って餘部駅ホームにやってくる.この写真の撮影位置は餘部駅ホームだが,餘部駅開業以前,余部集落の人が列車に乗る場合はまずこの位置まで山の斜面を登り,この鉄橋を徒歩で渡り,鉄道トンネルをくぐり抜けて鎧駅まで徒歩で行かねばならなかったらしいのだが,途中で列車が来る恐怖はなかったのか不思議で仕方ない.



山陰本線 餘部 185D 2007年12月15日 NikonD70 AiAFNikkor28mmF2.8D

 みぞれの降る餘部駅に到着した普通列車・浜坂行き.(2009年6月10日記述)



山陰本線 餘部 2D 2007年12月16日 NikonD70 AiAFNikkor28mmF2.8D

 夜明け前の薄暗い余部鉄橋を渡る特急「はまかぜ2号」大阪行き.車内を見た限りでは6両編成の全乗客は2人だけだった.(2009年6月10日記述)



山陰本線 鎧〜餘部 2007年12月16日 NikonCoolpix2500

 余部鉄橋の南側に新規の鉄橋を架ける工事が始まっていた.重機が写っている場所は恐らく新橋脚の土台付近なのだろう.(2009年6月10日記述)



山陰本線 鎧〜餘部 2007年12月16日 NikonCoolpix2500

 餘部駅周辺の民宿等の案内地図と,駅ホームから下の集落へ降りる歩道の案内図.いくつか分岐していた歩道は新橋梁工事のため,1本のみを残して閉鎖されていた.なお,地図には餘部駅が「余部駅」と書いてあるが,正式には餘部駅である.しかし,集落名は「余部」であるため,地元では「余部駅」と表記するのが標準なのだろう.しかし,播但線には余部駅(よべえき)というまったく別の駅が存在している.(2009年6月10日記述)



山陰本線 鎧〜餘部 2007年12月16日 NikonCoolpix2500

 餘部駅ホームから豊岡方面を見たところ.海側に変圧器?等が設置された.(2009年6月10日記述)



山陰本線 餘部 161D 2007年12月16日 NikonD70 AiAFNikkor28mmF2.8D

 余部鉄橋へのトンネルを出る下り普通列車.この後,新鉄橋工事のため,駅から下へ降りる歩道のルートが変更となり,この写真の速度表示「25」の標識と信号機の間に歩行者用の踏切が設置されている.(2009年6月10日記述)



山陰本線 餘部 161D 2008年1月20日 NikonCoolpix2500

 前述のように,餘部駅ホームと余部鉄橋間に踏切が設置されたが,この時点では未共用であり,集落と駅とのアプローチ(歩道)は従来からの線路の山側通路のままだった.(2009年6月10日記述)



山陰本線 餘部 2009年3月12日 NikonCoolpixS600

 前掲写真では未共用だったホーム端(鎧方)の踏切が使用開始となり,代わって従来の集落〜駅間の歩道が封鎖され,新余部鉄橋工事が本稼動した.(2009年11月19日記述)



山陰本線 餘部 2009年3月12日 NikonCoolpixS600

 新余部鉄橋が山側(南側)を通る線形になるため,餘部駅構内の線形配置も山側へ寄ることになるらしい.そのため,ホーム南側(山側)の斜面を掘削する工事が行われている.(2009年11月19日記述)



山陰本線 餘部 2009年3月12日 NikonCoolpixS600

 ホーム南側斜面の掘削工事により,余部鉄橋を俯瞰する撮影ポイントへの歩道も削り取られた.写真上部に見えている木製の階段はその歩道である.(2009年11月19日記述)



山陰本線 餘部 2009年3月12日 NikonCoolpixS600

 新余部鉄橋の橋脚が徐々に姿を現している.(2009年11月19日記述)



山陰本線 餘部 2009年3月12日 NikonCoolpixS600

 現在の余部鉄橋の橋脚同士の僅かなスペースに新橋脚設置工事が進んでいる.現在の「美脚」が見られるのもあと僅かの期間であろう.(2009年11月19日記述)



山陰本線 餘部 2009年3月12日 NikonCoolpixS600

 前述のように,従来の集落〜駅間の歩道は封鎖されたため,駅への案内地図でも歩道が白テープで隠されている.(2009年11月19日記述)



山陰本線 餘部 2009年3月12日 NikonCoolpixS600

 餘部駅への新歩道.看板類の表示はここの地名である「余部」で駅名も表記されていた.(2009年11月19日記述)



ページの先頭へ戻る


アビエスリサーチ トップへ戻る

inserted by FC2 system