(2011年1月15日作成,2023年12月18日更新,2024年1月25日最終更新)
民鉄線 名古屋鉄道三河線(廃止区間)へ戻る
国道153号のすぐ脇に建つ三河線の終点だった西中金駅舎.作者は車で訪問したが,駅舎に気付かず,最初は通り過ぎてしまった.(2011年1月15日記述)
プラットホームから改札を見たところ.駅舎とホームは現在,「登録有形文化財」となっており,朽ち始めてはいるが完全に取り壊されることは恐らくないものと思われる.(2011年1月15日記述)
猿投〜西中金間の廃止が2004年4月だったため,廃止から6年以上経っているが,レールはそのまま残っていた.ホームは片面.(2011年1月15日記述)
西中金駅より北側の車止め.三河線はこの先の足助方面まで開通させる予定があったため,一部は線路用地の土盛りや橋脚等が完成したいわゆる「未成線」となっている.写真の車止めやホームを見ても,終着駅っぽい重厚さがまったく感じられない.(2011年1月15日記述)
駅前(駅舎脇)から足助方面へのバスのりばあったが,屋根は朽ち果てていた.(2013年9月10日記述)
2013年夏の訪問時,バス停は黒いビニール袋状のもので覆われていた.(2013年9月10日記述)
駅とともにバス停も朽ちてゆく.(2013年9月10日記述)
レール終端部の車止め標識がなくなっていた.(2013年9月10日記述)
駅舎脇の汲み取り式トイレは現役で健在.丸石を敷き詰めた床面など丁寧な造りがみられる.(2013年9月10日記述)
2013年から2年後の2015年に訪駅したところ,かなり状況が変化していた.駅舎の西側に建っていた商店がなくなって更地になり,駅舎は修繕のうえ,喫茶店?として使われているようである.(2016年6月9日記述)
駅舎は「西中金ふれあいステーション」として整備されていた.写真は駅出札等へのメインの入口だった箇所.(2016年6月9日記述)
待合室部分をホーム側からガラス越しに撮影.(2016年6月9日記述)
足助方面へのバス停だったスペースは道路の拡幅に利用された.写真奥が猿投方面.(2016年6月9日記述)
駅部分の線路こそ撤去されていなかったが,線路敷には砂利が敷かれていた.(2016年6月9日記述)
線路末端部にかけても砂利が敷かれた.末端部付近には残置されていた架線柱は撤去されていた.(2016年6月9日記述)
駅舎入口上部に「西中金駅」の駅名標が出されたが,恐らくオリジナルのものではない.(2023年12月18日記述)
ホーム舗装が新しくなってしまった.これを保存というのか,改変というのか,難しいところである.(2023年12月18日記述)
ホームと線路敷を結ぶ階段が設置された.35km/h速度制限標識はもともとこんなところにあるはずはなく,どこかから運ばれてきたものと思われる.(2023年12月18日記述)
三河広瀬方を見た写真.隣接する家屋の「私物」が徐々に線路敷に入ってきている.(2023年12月18日記述)
ホーム向いの線路敷にトイレが出現.この駅は訪問のたびに何か新たな施設ができていって,オリジナルの施設がどんどん失われていく印象がある.(2024年1月25日記述)
登録有形文化財の説明板.有形文化財指定も受けただけに,オリジナルの姿を極力大切にしてもらいたい.(2024年1月25日記述)
駅舎はカフェ併設の「西中金ふれあいステーション」として使われているのだが,その「裏」に相当するホーム側は物置状態である.(2024年1月25日記述)
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