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高師駅 豊橋鉄道渥美線

(2012年9月8日作成,2017年7月3日最終更新)

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豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年6月26日 RICOH CX4

 高師駅時刻表.上り列車は朝8時台から21時台まで,下り列車は8時台から22時台まで完全パターンダイヤ化されている.この時刻表には(当然ながら)表示されていないが,下りで当駅23:58終着という列車もある.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年6月26日 RICOH CX4

 連絡乗車券運賃表.「乗継乗車券」と表示されていた.名鉄線の右脇や,右下が白地のシールで隠してあるのは,恐らくJR連絡の運賃が表示されていたものと思われる.これはmanaca⇔Toica相互利用が開始された2012年4月21日から豊橋鉄道〜JR東海の連絡運輸が廃止されたため.

 その他,上貼り箇所のうち,頭に「名鉄」が付く駅はすべて「新」を名乗っていた駅名の改称による上貼りと思われる.右上の「名鉄空港線/中部国際空港」の上貼りについてはオリジナル(上貼りの下)は不明.「中京競馬場前」上貼りの下は有松か左京山が元々表示されていた?のだろうか.なお,左下「須ヵ口」は「須ヶ口」の誤り.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年8月29日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S (トリミング処理)

 新豊橋始発の下り最終列車は高師駅止まりで,高師到着時刻は23:58.以下,列車到着シーンと車庫への引き上げシーンを撮影したのでご紹介する.

 この写真は島式ホームへ入る最終下り列車.カンテラを提げた駅員がホームに立っているのが写っている.写真奥が新豊橋方で,手前(右手前)が車庫になる.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年8月29日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 ほとんどの下車客が高師駅の改札に近い(且つ,新豊橋駅の改札にも近い)3両目に乗車していた.構内踏切を渡って改札口へ向かう下車客が写っている.前面幕には1日あたり1列車しか表示されない「高師」の珍幕が表示されているのだが,バックライトに潰れてうまく写っていない.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年8月29日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 高師に到着したこの編成は,入換(スイッチバック)で車庫へ入る.三河田原方に乗務していた運転士が車内を反対側運転台へ歩いて移動しているのが写っている.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年8月29日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S (トリミング処理)

 写真が不鮮明で分かりにくいが,高師駅構内の新豊橋方にある信号機群を写したもの.左の写真では入換標識が停止現示だが,恐らく駅員の駅構内における信号操作により,進行(写真右)へと変化したのが分かる.

 蛇足ながら,新豊橋方の出発信号機(上り出発信号)はホームを挟む両線に対して設置されており,いずれの番線からも上り列車の発車が可能となっている(一方,下りの出発信号機はホーム東側の線にしかない).(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年8月29日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 入換標識の進行現示後,到着した終列車は一旦新豊橋方へ移動(写真上),入換のポイントを完全に通過したところで一旦停止すると,駅ホームと車庫との間にある一般道の踏切が鳴動する.この時,踏切の列車方向を示す矢印は上下(つまり左右両矢印)が点灯していた(写真中部).

 写真下は車庫へと向かう編成.ホームより東側にある側線を通過しているところである.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年8月29日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 駅ホームの南側に広がる車庫.中央の青い幕を持った編成が上述の最終列車に充当されていた編成(1804F編成と思われる).なお,この時には前面方向幕は「新豊橋」に回されていた.写真奥が三河田原方になる.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2012年8月29日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 駅ホームの南東側から新豊橋方を見た構図.ホーム奥の2階建ての建物が駅舎兼乗務区で,最終列車に乗務していた運転士と車掌は車庫から徒歩でこの建物へ戻っていた(恐らくそのまま宿泊するものと思われるが詳細不明).最終列車は写真奥へ一旦スイッチバックし,写真の一番右にある線路(側線)を通って車庫(写真の左手前になる)へと入っていった訳である.(2012年9月8日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 左が下り三河田原ゆき,右は当駅始発運用となっている新豊橋ゆき.写真奥が三河田原方になる.上り列車は当駅で車両交換を行う場合があり,その運用で右の駅舎側ののりばにすでに列車が入っている.なお,駅舎側のりばを使用する際には改札までの構内踏切を完全に塞ぐことになるため,ホーム切欠階段部分に蓋がされる(写真右手前).通常,蓋は開いた状態になっており,視覚障害者誘導用ブロックも開いている状態で通路状に設置されているため,写真のように蓋を閉じた状態の場合,視覚障害者誘導用ブロックが水平方向にズレまくってしまう.
 写真は駅員が手旗を上げ,今まさに発車する三河田原ゆき.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 ホーム切欠階段部分の構内踏切を塞いでいる際には新豊橋寄りの構内踏切が使われる.写真奥が新豊橋方で,出発信号はホーム両側の線に対して設置されている(つまり,新豊橋方へはどちらののりばからも発車可能).なお,下り場内信号機(新豊橋方から当駅への進入)は1つしかない.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 改札からホームへと向かう旅客.ホーム端の構内踏切には遮断機等は設置されていない.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 改札口に立って旅客の往来と通常時の構内踏切の安全を監視する駅員.こちらの構内踏切には遮断棒があるのだが,後述するように手動式である.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 改札から遠い側ののりばに三河田原始発の「新豊橋」ゆきが到着,但し実際の運用は当駅で車両交換を行う関係からホームでの平面乗り換えで写真中央の1808F編成へと乗り換える必要があった.その「新豊橋」ゆきが当駅を発車(9:58発).ホームの駅員は切欠階段の蓋を開けているところ,改札前の駅員はこれから手動式の遮断棒を上げるところである.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 ホーム駅員が鉄製の蓋をずらしているシーンと,改札前駅員が遮断棒の押さえをあてがっているシーン.なお,右の「つつじ編成」こと1803F編成はこの後,車庫への入換作業が待っている(後述).(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 改札より見たホーム.構内踏切と鉄製蓋がスライドする切欠階段が真正面に写っている.写真左が新豊橋方.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 さきほどの1803F編成の入換が始まった.まず,新豊橋方へ移動,入換中は構内新豊橋方の南栄3号踏切は通れない.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 スイッチバックの動きで再び構内ホーム側(=車庫側)へと発車した180F編成.この後,踏切が開く.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 構内新豊橋方の南栄3号踏切上よりホームを見る.入換信号機ではなく,入換標識のためか,前々掲の写真のように手旗も用いての入換作業を行っていた.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 同じく南栄3号踏切上より新豊橋方を見た構図.本線から右に分岐する枝線があるが,1977年までユニチカ豊橋事業所への引込み線として使われていたものである.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前述のユニチカ豊橋事業所引込み線は高師駅寄りの本線並走部分のレールを残して留置車両等が停められるようになっている.写真には引込み線上に逸走止めが写っている.写真奥が新豊橋方になる.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 引込み線レール残存末端部分は現在の本線用架線柱が建ち,そこに車止標識が掲げられている.写真奥が新豊橋方.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅〜南栄駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前掲の引込み線跡の車止め付近をゆく新豊橋ゆき電車.左の信号機は高師駅の場内信号機だが,下り列車に対する場内信号は1つ(1線)だけ(改札から遠い方ののりば)にしかない.一方,高師駅の上り出発信号は2つ(2線・ホームの両のりば)という施設になっている.このため,前述したような車両取替え運用は下り列車(三河田原ゆき)に対しては行えないため,必ず上り(新豊橋ゆき)で行われている.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅〜南栄駅 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前掲の引込み線車止め付近からさらに新豊橋方へ行くと4kmポストが立っている.新豊橋〜高師間の営業キロは4.3キロのため,この付近は高師駅から約300mほど新豊橋寄りに戻った地点だが,ユニチカ豊橋事業所への引込み線はこの付近から右手へと離れていく線形をしていた.現在,引込み線跡の敷地の大部分は高師緑地(豊橋市が管理)となっている.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅近隣高師緑地内 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 高師緑地には主にクロマツが植栽されており,馬場もある.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅近隣高師緑地内 2013年7月31日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 高師緑地内のクロマツやアカマツには戦時中に航空機燃料として松ヤニが採取された傷跡が残っている.つまり,樹齢としては60年をはるかに超えているこなる.鉛直方向の直線に対し,丹念に魚骨状の平行な筋が彫り刻まれている様子が今もしっかり残っていた.(2013年9月7日記述)



豊橋鉄道渥美線 南栄駅〜高師駅 2013年7月31日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 高師緑地内のマツ類のほとんどに松ヤニ採取跡が残っており,むしろ採取跡のない樹を探すのが困難なほどである.戦時中に切り刻まれた歴史の樹木を横目に渥美線1800系が通り過ぎる.(2013年9月7日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅近隣高師緑地内 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 高師緑地の案内板.北が右(新豊橋方が右)になる.地図上に書き加えた丸囲み数字だが,「1」が南栄3号踏切付近でユニチカ専用線の分岐地点,「2」が本線並走から東側へカーブを開始する地点で,「3」にかけて曲線になっている歩道は専用線軌道をそのまま歩道化したものである(後述).「3」で県道407号伊古部南栄線を渡り,おおよそ「4」の位置がユニチカ豊橋事業所の工場敷地入口付近になる.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前掲案内板の「2」から「3」にかけてのカーブした引込線形跡.写真奥がユニチカ豊橋事業所敷地になる.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 専用線跡の盛土部分だが,確かにバラストっぽいものが多い気がする.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 高師緑地から県道407号伊古部南栄線を渡る「3」地点.道路の向こうに残置されたレールが写っている.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 ユニチカ事業所側から高師緑地を見た構図.渥美線本線部分では留置線として残る線路があり,高師緑地内はカーブした線形が歩道として使われ,県道からユニチカ事業所側はレールそのものが使われずに残っているのだ.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 県道脇からユニチカ事業所側を見た構図.レール付近はアスファルト舗装化されたとは言え,専用線がそのまま残存.貨物が往来していた情景が如実に浮かぶ.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 専用線脇の柵の下に「ユニチカ」と縦書きされた敷地境界杭が残る.写真奥がユニチカ事業所敷地になる.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 片側が切通しとなり,土留工もそのまま残っていた.架線柱とビームも残っている.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 ユニチカ事業所敷地入口付近から振り返った専用線(写真奥が高師駅方).左に踏切の残骸もあった.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 踏切器具箱も残置されており,「ユニチカ3号踏切」とある.(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 ユニチカ豊橋事業所敷地への入口部分.厳重に施錠されていた.なお,現在当事業所での生産主要製品は不織布(土木・ルーフィング用シート),バイオ事業(ハナビラタケ)らしい(ユニチカCSR事業所報告,参考URL:http://www.unitika.co.jp/csr/office.html).(2013年6月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2013年5月22日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 柵越しに見たユニチカ豊橋事業所内部.敷地内にも線路が残り,積み込み施設らしき建物もある.(2013年6月3日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S

 新豊橋始発・高師駅23:58着の最終下り列車が到着.降車客が構内踏切を渡って改札へと向かうシーンが写っている.写真奥が三河田原方になるが,2013年3月15日から6月末日(予定)まで,三河田原駅構内工事に伴う夜間留置車両の回送等変運用が見られた.当ページ上部で紹介した通常運用(2012年8月29日撮影の例)では最終の高師どまりの列車は高師駅南側の車庫線へ入換後に留置されていたが,2013年5月31日及び6月24日に確認した限りでは最終列車編成はホーム脇で夜間留置されていた.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S (トリミング処理)

 1日1回,最終列車にだけ表示される妻面の「高師」行き先表示幕.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S

 最終列車到着後,ホーム駅舎側番線には(恐らく三河田原から)回送された編成が到着する.写真は最終下り列車で車内巡回後に車内灯を落としたシーンが写っているが,改札正面構内踏切の手動遮断棒(写真上部のピンク色矢印)を降ろすシーンも見られる.すでの旅客の降車も終わり,翌朝まで改札も閉鎖はされるが,安全確保のため,遮断棒は降ろされていた.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S

 三河田原方から回送列車が接近.その前照灯により留置編成側面のステンレスボディが鈍く反射している.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S

 ホームの改札側番線へ回送列車がが到着.撮影立ち位置は南栄3号踏切上だが,警報機鳴動,遮断機降下はなかった.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S

 写真では両編成へ手歯止めを設置するシーンが写っている.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S

 車内灯も落とし,撮影直後には構内(ホーム)の照明も落としていた.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年6月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 50mm F1.4S

 ホーム両脇で夜間滞泊する編成.いずれも妻面の行き先幕は赤文字の「回送」が表示されていた.なお,三河田原からの回送編成に乗務していた(と思われる)運転士と車掌は高師駅執務室前に待機していたタクシー(言うまでもなく,豊鉄タクシーである)に乗車,豊橋市街方面へ向かっていった.翌朝には再度タクシーで高師駅まで来て,回送編成を三河田原方へ送り出して・・・という動きをするものと思われるが未確認.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月31日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 2013年5月31日〜6月1日にかけての夜間留置状況.写真奥が新豊橋方になる.(2013年6月29日記述)



豊橋鉄道渥美線 高師駅 2013年5月31日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 南側の車庫.2012年8月29日撮影のものと特に違いはないようである.(2013年6月29日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 高師緑地から見たユニチカ引込線跡.線路が残存していた部分に柵がされ,立入禁止の表示がされた.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 線路を撤去する工事等は行われていない.(株)鴻池組設置の立入禁止看板が脇に立つ.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 門扉越に見た線路跡.この引込線跡は当ページで前述したように,ユニチカの敷地なのだろう.しかし,引込線廃止後は自由に使える通路になっていたが,あくまで私有地としての主張を通すために柵を設けた,という感じになっていた.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 ユニチカ豊橋事業所跡側から見た引込線跡.架線柱などはそのままだが,こちらも蛇腹状の門扉(柵)が設置されていた.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 ユニチカ3号踏切の電気設備?箱(このページに2013年撮影の同箱も掲載)もそのまま残されていたが,線路脇など周辺部にあった畑はすべてなくなっていた.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 ユニチカ豊橋事業所はすでに操業をやめていたが,敷地内への引込線跡は残っていた.写真右に当事業所の建物解体工事に関する工事看板が設置されていた(次掲).(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 ユニチカ豊橋事業所解体工事看板.「建屋解体および環境対策工事を行っています」とのことで,発注者は積水ハウス(株)豊橋支店となっている.施工者は(株)鴻池組で,積水ハウスの関連会社である.なお,前掲の引込線跡の柵を設置したのも鴻池組である.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 ユニチカ事業所跡だが,建物の解体がほとんど終わっていた.引込線施設が失われる前に間近に見てみたかったものである.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 事業所跡地は盛土がなされ,かなり広いことが分かる.(2017年7月3日記述)



(豊橋鉄道渥美線 高師駅引込線跡) 2016年11月13日 Nikon D200 AF-S DX ED 18-70mm F3.5-4.5G

 ユニチカ豊橋事業所跡だが,塀よりさらに高い位置まで遮蔽用の柵がされ,解体作業だけにしてはただならぬオーラを放っていた.それもそのはず,この土地は太平洋戦争後,豊橋市から無償で提供を受けたものだったが,積水ハウスへ2015年に63億円で売却した後に,豊橋市議会で土地を市に返還する必要があったのではないかと議論になり,2016年5月に市がこれまでの経緯を説明した.それによると,1951年,企業誘致を進めていた豊橋市が,ユニチカの前身の会社に無償で提供したもので,当時の契約に「使用計画を放棄した部分は市に返還する」と定めていたことから,この土地は豊橋市に返還する必要があったのではないかと市議会で議論になった,ということも理由らしい.(2017年7月3日記述)



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