(2008年10月15日作成,2009年2月1日最終更新)
民鉄線 筑波鉄道筑波線へ戻る
筑波駅は筑波線廃止後も駅舎をそのままバスの待合室やきっぷ売場として残しており,原形を強く留めていた. 筑波線から筑波山へ向かうバスの乗り換え駅だけあって,駅前は広々としていた.「タクシーのりば」には「関鉄土浦タクシー(株)」と書いてある.やはり関鉄グループの独壇場となっていた.
土浦方から見た筑波駅構内.写真奥が岩瀬方面になる.ホームは2面3線で,右が上り本線の1番線,中央に見える島式ホームの右側が下り本線の2番線,一番左が折り返し等が可能な3番線だった.
1番線から見た2-3番線ホーム.筑波鉄道の途中駅ではもっともホーム屋根面積が充実していた.廃止から2年4ヶ月ほど経っているが,構内の広告類はそのまま残置してあった.写真左に2番線を示す「2」の札が取れかかっているのが写っている.
2番線から見た駅舎(1番線)方向.写真右が土浦方面になるが,ホーム同士は構内踏切になっていた.筑波線の途中駅には跨線橋は皆無だった.
2-3番線の様子.左が3番線だった.3番線のさらに外側にもレールがあったらしいが,詳細は不明.
1番線に残っていた「名所案内」には,「筑波山(海抜876m)駅前より登山バス連絡,坂東二十五番札所・筑波山大御堂・登山バス終点」と書いてある. なお,背後の「自然休暇村 ゆう・もあ村」は撮影当時の1989年にはまだ営業していたはずだが,2008年現在は閉鎖しているらしい.廃墟マニアには有名スポットとなっていた.
廃止(1987年)から約20年後のホーム跡地.線路敷は一部がサイクリングロードとして整備され,ホームのあった場所は休憩所として整備された.(2009年2月1日記述)
駅名標のようなサイクリングロードの距離程.筑波駅跡はサイクリングロードとしては「筑波休憩所」と称すらしい.背後にかつての石積だったホーム跡が見えている.(2009年2月1日記述)
駅舎はバスの営業所として存続.駅舎正面に掲げられていた「筑波駅」の看板は取り外された.これはこの場所にあるバス停名が「筑波山」「筑波山口」といった名称を名乗るり,紛らわしいことから取り外されたものと思われる.(2009年2月1日記述)
東京駅とを結んでいた高速バス「ニューつくばね号」は前年の2006年9月に廃止したはずだが,高速バス降車場が残っていた.しかも,停留所名は「筑波駅」になっている.首都圏新都市鉄道(TX)の「つくば駅」は2005年8月に開業済であり,非常に紛らわしい.(2009年2月1日記述)
「筑波駅」の名が残っているのは停留所の標識だけかと思ったら,路線バスも「筑波駅」の幕を出して堂々とやってきた.路線バスの停留所名は「筑波山口」のはずであるが,詳細不明. TXのつくば駅ゆきと勘違いして乗って来る乗客はいないのだろうか?(2009年2月1日記述)
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