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山東駅〜船明駅 佐久間線(未成線)

(2016年5月20日作成,2016年11月27日最終更新)

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佐久間線 山東駅付近 (国土地理院web site地図より・2015年11月13日閲覧)

 未成線の佐久間線山東駅(やまひがし)〜船明駅(ふなぎら)間を紹介する.山東駅は地図の「3」と「4」の間に出来る予定だったらしいが,規模の小さい駅を予定していたようでどこが駅予定地か特定できなかった.なお,佐久間線の途中駅はどこもホームなどはまったく完成しておらず,線形は楽しめるが駅予定地はまったく楽しめない.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 写真奥が中部天竜方になる.右の建物は浜松市立光明小学校で,開校時は山東小学校であった.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 佐久間線の築堤脇に日本共産党の掲示板が立っているが,明らかに国鉄清算事業団の敷地内に立てられているのが印象的.写真右下に境界杭が写っている.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 築堤上より中部天竜方を見た構図.造成工事により完成路盤の状況も変化したようである.それにしても草刈の手入れがよく行き届いている.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2016年10月16日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 10月の撮影.やはり草刈がきちんとされていることが分かる.前掲の前年の写真と特に変化がないようにも見えるが,左の家屋の擁壁が補強されていることが分かる.(2016年11月27日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 (国土地理院web site地図より・2015年11月13日閲覧)

 前掲写真が地図上の「4」付近で,右(東側)に小学校マーク(光明小学校)が見える.佐久間線は地図の「5」〜「6」と続いていくが,この区間は線形跡を利用しての道路整備が行われており,年々状況が変化している.なお,船明(ふなぎら)駅は地図上「6」付近に建設予定だった.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前掲地図の「5」付近より中部天竜方を撮影.この付近は完成していた佐久間線の築堤をすべて切り崩し,その敷地に道路を建設していた.築堤こそなくなったが,建設中の道路線形を見ると,鉄道敷地跡然とした曲線を見ることができる.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 写真奥が天竜二俣方.佐久間線の築堤を造ったものの鉄道は通らず,今度はその築堤を壊して道路にするという摩訶不思議な変遷を辿っている.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2016年10月16日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 前掲写真の撮影から1年半ほど経っているが,まだ道路が完成していない.太陽光発電施設などが増えている.(2016年11月27日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 写真奥が天竜二俣方になる.左に築堤が残っているが,その築堤を壊して「船明公会堂」という公民館のような施設が建っている.さらにその奥にも築堤は続いていたのだが,道路を建設中.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 船明駅予定地付近に「船明小学校」の跡地を利用した公園があった.正門と思われる門構えが残っている.右に佐久間線の築堤が写っている.(2016年5月20日記述)



佐久間線 山東駅〜船明駅 2015年2月24日 Nikon D200 Ai Nikkor 24mm F2S

 船明小学校跡地には当小学校の変遷が書き込まれている.分校として開校後,船明小学校に「昇格」したものの,山東小学校と統合して「船明教場」になり,その後閉校.なお,山東小学校もその後の統合で「光明小学校」に名称を変えており,なかなかややこしい.左の地図を見ると,佐久間線の線形が破線で表され,「旧佐久間線」と書かれていることから,あたかも佐久間線という路線が存在したように見えるが,未成線で終わっている.小学校同様,この変遷もややこしいが,この地図をみると小学校の北校舎,南校舎があった敷地に佐久間線が建設されたことが分かる.この敷地は前掲の「船明公会堂」の位置とほぼ一致していることから,一旦は鉄建公団の敷地になったものの,再び市に土地が返されたらしい.土地利用も非常にややこしい変遷を辿っているようであり,この記念碑からさまざまな歴史が読み取れる.(2016年5月20日記述)



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