2005年6月に撮影した1922Dのサボ.前掲のものと異なり,荒屋新町が横書きに,盛岡の位置が中心よりも取っ手の分だけ左にずれて,盛岡から荒屋新町と日詰との距離感がうまく?表現されたサボに変わっているが,注目は前掲のサボと異なり,盛岡−>荒屋新町方向の矢印が加わっていることだろう.
1922Dの前夜における車両の動きはいろいろと変化があり,前夜の盛岡発最終列車1945D荒屋新町行きがそのまま荒屋新町で駐泊していた時期,1945Dの荒屋新町到着後に再び盛岡まで戻して駐泊させ,翌朝,再度荒屋新町まで回送していた時期,前夜の荒屋新町行き1945Dが荒屋新町到着後に回送として鹿角花輪まで行ってそこで駐泊し,翌朝,鹿角花輪〜荒屋新町まで回送してから1922Dとして運転していた時期など,詳細は不明だがさまざまな変遷を経ているらしく,サボも前夜からの使用を考慮?したタイプのものなのかもしれない.(2008年8月31日記述) |