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岩手大川 岩泉線

(2007年12月9日作成,2010年8月27日最終更新)

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岩泉線 岩手大川 2004年1月27日 Nikon Coolpix2500

 2004年の駅時刻表だが,2007年現在もほぼ変化がない.このダイヤは国鉄末期からほぼ一貫している(昼間に岩泉行きと宮古行きが1本増えた時期もあった).岩泉線は岩手和井内以南であれば宮古方面へ通学することが可能だが,岩手大川まで来てしまうと,列車で宮古方面へ通うことはできなくなる.ただし,岩泉駅近くに岩泉高校があるため,午前中唯一の岩泉行きが通学列車となる,この7:36の683Dが岩手大川通学生の要の列車である.
 では,岩手大川以北が岩泉高校へ,押角以南が川井・宮古方面の高校に通っているのか?というとそうではなく,2000年頃に岩手和井内方面から岩泉へ通う高校生も確認している.山田線(盛岡〜宮古間)にしろ岩泉線にしろ,列車で通学する人は毎朝乗る列車が1本しかないため,通常の登校日にこれらの線区を訪れると通学生の列車利用実態のほぼすべてを見ることができる.



岩泉線 岩手大川 683D 1998年11月10日 NikonF3 AiMicroNikkor105mmf2.8S RA・フジクロームSensia100

 落葉もかなり進んだ季節に朝の唯一の通学列車,683Dに乗る通学生ら.中里のページでも触れたが,岩泉線は通学生の男女で乗車するドアがきっちり分かれる「伝統」があるらしく,岩泉方が女子,茂市方が男子で,これは2007年現在もずっと続いている.もともとは行き違い可能な島式ホームだったようで,それらしい構造がこの写真から見て取れる.



岩泉線 岩手大川 683D 1998年11月11日 NikonF3 AiNikkor35mmf1.4 RA・フジクロームSensia

 手前側の石畳はもともと駅舎があった部分の床で,恐らく待合室部分と思われる.執務室は写真右手にあったらしい.通学生らがその駅舎跡に積もった落ち葉を踏みしめながらキハ52に乗り込んでいくが,半自動のドアをちょうど開けるタイミングに撮れていた.この時間帯は通学生を送る自家用車や路線バスが駅前に集結し,大変に活気があった.



岩泉線 岩手大川 683D 2004年1月27日 NikonF3 AiNikkor35mmf1.4 RDPIII・フジクロームプロビア100

 暖かい車内へ足早に,しかし滑らないよう慎重に乗り込む朝の通学生ら.この頃(2003年度)までは岩手大川利用の通学生総数もほぼ横ばいで増減があまりないように感じたが,2006年に撮りに行った友人によると,この時の通学利用者総数は9人だったそうで,今後過疎化,少子化により激減の一途を辿るものと思われる.



岩泉線 岩手大川 685D 2004年1月26日 Nikon Coolpix2500

 午後最初の岩泉線685Dは宮古駅を15時頃に発ち,岩手大川は16時過ぎに着く.その下車シーンだが,駅前には岩泉運輸のバスが下車客を待っている.お年寄りがホームからの滑りそうな階段を慎重に降りているが,この後,この階段には手摺りが設置されている.



岩泉線 岩手大川 2009年7月31日 Nikon Coolpix S600

 朝7時半頃,抜けるような青空の下,岩手大川駅よりさらに上流の釜津田や大川集落からの乗客を乗せた岩泉町営バスが駅前に到着.駅前からホームへ上がる階段だが,写真のように白い手摺りが設けられた.(2010年8月27日記述)



岩泉線 岩手大川 683D 2009年7月31日 Nikon Coolpix S600

 岩手大川駅7:36発岩泉行きのキハ110が到着.前掲のバスから一部の客が岩泉線に乗り継いで行く.夏休みのため,乗客数は少なめ.奇しくもこの写真を撮影したちょうど1年後のまさにこの日(2010年7月31日),岩泉線押角〜岩手大川間で土砂崩壊が起こり朝一の下り列車が脱線,この文章を書いている2010年8月27日現在,岩泉線は全線に亘って代行バス輸送となっている.岩手大川から岩泉までの通学列車は来ないため,バスで通学する状態が続いている.(2010年8月27日記述)



岩泉線 岩手大川 2009年7月31日 Nikon Coolpix S600

 岩手大川駅前には木造の売店か観光案内所のようなものの残骸がある.その右の駅名標のようなフレームはバスの乗り換え案内がはまっていたのだろうか,詳細は不明.(2010年8月27日記述)



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